「美人論」  井上章一著


美人論 (朝日文芸文庫)美人論 (朝日文芸文庫)
(1995/12)
井上 章一

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評価★★★

  映画シナリオ評論家の榎本憲男がtwitterで薦めていたので読んだ。美人論といっても、「美人とはどんな顔立ち、どんな風貌の女性をいうのか」について持論を述べたわけではなく、斜め上から「世間がみなす美人とはどんな女性か、そして彼女ら美人は世間でどう扱われてきたかの歴史」をテーマに過去の文献を漁り、論評した随筆のような研究書。文体は軽妙で読みやすい。そもそも著者は建築史の学者で若干畑違いだが、上梓したのはフェニミズムまっ盛りで「男が女を語るな」的風潮もあった1980―90年代だから、反響は大きかっただろう。
 
 まず時代は明治にさかのぼる。同時期の修身を読むと、「美人は徳を失う「美人は堕落しやすい」といったあたかも美人を排斥するかのような言葉が頻発しているという。調べると同時代の作家たちも自著で「美人は疵モノ」といった美人排斥の言葉を繰り返し、論壇や文壇はもちろん、巷でも美人排斥論が声高だったことの紹介からスタートする。確かに、そこには理由がある。明治維新によって、江戸時代ずっと庶民の重しとなっていた「家柄」がなくなり、自由恋愛が広がり始める。「容姿による出世」、玉の輿を狙えるようになったわけだ。実際、明治の元勲たちは、鹿鳴館に象徴されるような欧米のパーティ文化も流入、、も相まって美しく煌びやかで社交に長けた芸者たちを妻にすることも多かったという。更に、文献を探ると、教育現場である学校においても、年に数度の父兄参観は高名な家庭の嫁選びの場と化し、「美人から最初に売れていき、ブスは売れ残る」ことになっていたという。醜女は仕方ないから高学歴を目指すことが半ば暗黙の現実となり、そうした状況に旧体制側のやっかみが出てくる。政府としても向学心のある女性をガードする必要があり、結果的に美人排斥論につながったとする。

 続いて時代は明治末。欧米との文化的な交流が進み、それまで日本語にはなかった言葉がどんどん入ってくる。「表情」もその一つで、欧米との交流で新たに造語された言葉である。前後して、「表情」の美しい女性が美人であるとの言説も流布しはじめ、大正時代のロマン文化がそうした「美人論」の文脈をさらに拡大させていく。時代が戦後に入ると、経済成長とともに女性が社会進出する機会が上昇、それと伴って高学歴の女性の絶対数が増えていく。当然、社会進出した女性が自身の立場をサポートするためのフェニミズムも勃興する。結果、容姿は単なる顔の形ではなく、「知性」や「教養」といった後天的な努力も影響するという言論が一般化し、アメリカ発、日焼けした小麦色肌の「健康美人」なる言葉も見かけるようになる。それまで美人といえば、色白病弱、薄命っぽいと相場が決まっていたのだ。著者によれば、「美人も民主主義化した」という、少なくとも建前上は。建前では美人は先天的なものではなくなったのだ。男性もその風潮を敏感に感じ取り、「女性は容姿だけではない」とインテリ気取りを先頭に多くが語り出すようになる(ただし、男性は年齢によって違いがあり、まだ20代は正義感から知性を求めるが、30代になって金ができると自分の隷属物としての美人を求めるようになるらしい)。

 そして現代。戦後民主主義の発展が行き詰まりを見せ、フェニミズムも衰えはじめる中、美人はその昔の美人として、逆戻りしはじめている。大学のミスコンが普通になり、アナウンサーなどを含む芸能界では、歌や芸が上手いよりも単に美しい容姿をもつ女性が席捲する。人々はちょっと前なら正義感から言うことを憚ってきた「美人は必ず得をする」といった現実を公言するようになった。排斥され民主化されていた美女たちは、再び自身の武器を公然と使えるようになったのだ。一方で、建前を失った不美人は、美人排斥の正義をかざす文化人や行政による保護もなく、行き場(アジール)をなくしているようだと本書は結ぶ。私自身は世の中、美人ばかりではない。アジールはどこかに見つけるものだとは思っている。

 あとがきで著者は「自分は面食いだ。かつて美人好きではないとしてきた正義感は失われた」と露悪的に言い放つ。友人であるフェニミストの上野千鶴子は巻末の解説でそうした著者の露悪を偽悪とみなし、「著者は本を売らんがため、確信的に面食いだと書いている」と断言する。まあ、露悪か偽悪かはどうでもいいが、暇つぶしとしてはいい、思ったより面白く読めた本だと思う。ちなみに私のことですが、私をよく知る人は「面食いではない」と言いますが、私自身は「面食い」だと思います。愉快犯かどうかは、想像におまかせいたしますw。