「中国の大盗賊」 高島俊男


中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)中国の大盗賊・完全版 (講談社現代新書)
(2004/10/19)
高島 俊男

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評価★★★


 中国文学の学者である高島俊男が1989年に書いた本で、2004年に大幅修正して新書刊行されたもの。漢の劉邦から明の朱元●(しょう)、李自成、太平天国洪秀全、さらには毛沢東にいたるまで、歴代の革命家を盗賊を見抜き、王朝を盗賊王朝とブッタ斬った、半分は目からうろこで半分はやりすぎ感のある本。もちろん、文学者でもある著者のこと、日本だって国定忠治清水の次郎長、欧米でもロビンフッド物語などがあるように、人々は庶民に親しみある盗賊を義賊として許すし、好きなのだとも書いている。ただし、中国については辛らつで、「中国の2大勢力は「紳士」(知識人)と「流亡」(ならず者)である」という中国の学者の言葉をひいて皮肉っている。
 
 そもそも、なぜ中国に盗賊ができやすいかというと、中国の農村には大の大人がおおぜいブラブラしているからだという。人口は多いが、耕地に限りがあり、人が余る。長らく中国エリートの登用門として機能してきた科挙は人の資質を正当評価するものではないため、落ちたインテリ層がゴロゴロしており、彼らは行政にたえず不満を持っている。義挙に打って出た義賊は、農村の閑人を集めて大型化するが、中国人は自由きままの個人主義で権力欲が強いため他の土地で戦さを重ねて盗賊化するらしいのだ。盗賊の首領は都を目指し、天下を盗ると王位または皇位につき、過去の宮殿を焼き払って自前の宮殿を建て(清だけは明の紫禁城をつかった)、国号(国名)をつけて元号を立て、暦をつくり、文武官僚を任命して政府を組織する。

 元祖の盗賊は漢の劉邦。日雇い農家(雇農)生まれの陳勝が「燕雀いずくんぞコウコクの志を知らんや」と言って陳勝呉広の乱を起こし、壮途なかばで倒れると、農家生まれで盗賊の親玉である劉邦項羽と協力して秦を倒し、高祖となって建てたのが漢だという。
 明の太祖、朱元章も農村の貧しい家に育ったが盗賊に入って出世して白蓮教徒を結束、紅巾軍を率いて乱を起こし、元を倒して明朝を興す。

 明代末期、韃靼地方に住む女真族を統一したヌルハチが明に楯突いて後金を建て、息子のホワンタイジは後金を清と改称して女真を(文殊菩薩を意味する)満洲と改めて明にたびたび攻め入った。そのころ、盗賊の中でも乱暴な流賊の首領、貧農育ちの李自成が独立して清軍と対立、日の出の勢いで北京に攻め入り、ついに明を倒し、皇帝に就く。しかし40日後、清が北京に入ってきて李自成は逃げる途中で死ぬのだ。

 広東省客家(南方に住み着いた漢人)の人、農村のインテリ家庭に生まれたものの、何度も科挙に落ちた洪秀全は、エホバ教と出会って新興宗教(拝上帝教)を興す。一種の共産主義社会を打ち立てて布教に努めながら武装闘争を始め、他の地方に攻め入っては「入信すれば逃げなくてよい」と地元の農民を集め、9カ月で200万人を集めて南京に入城、天王を称する。土地は神のものとして私有財産を認めず、商業をなくしてみな公務員にするなど共産主義的な社会を標榜するも、清の正規軍の弱さを嘆いた学者の曾国藩が創設した湘軍との戦いに疲弊し、死んだ後に衰亡しちゃた。

 極めつけの盗賊は毛沢東。「マルクス主義の真理はいろいろあるが、せんじつければ造反有理に尽きる」と語り、スターリンには「(本物でない)マーガリン・マルクス主義者」と称された毛沢東。自身の文化的教養こそ歴代皇帝にはなかった才能とのたまう。ソ連共産党コミンテルンの中国支部として結党した中国共産党に1921年に入党、すぐに幹部になる。農村ばかりの中国では、ロシアのような都市プロレタリアート革命が無理だと悟って独自の革命路線、つまりは中国歴代皇帝が成し遂げた農民革命戦争に傾斜する。第一次国共合作中華民国(1911年に辛亥革命清朝を倒し成立)を排除し、1930年代には再び国民党と組んで(第二次国共合作)、満洲国政府を立てて南進する日本軍への対抗し、同時に国民党を疲弊させて戦後、一気に中国の共産化に成功したわけだ。

 アマソンの評価が非常に高いもの理解しえるほど、なかなか面白かった。だが、判断に迷うところもある。盗賊と断じ、もてあそぶのも一興だが、それに終わって良いものかどうか。最近の中国をみているとそう断じて構わない気もするが、やはりわずかに違和感が残った。