「世界経済 超マクロ展望」 水野一夫・萱野稔著


超マクロ展望 世界経済の真実 (集英社新書)超マクロ展望 世界経済の真実 (集英社新書)
(2010/11/17)
水野 和夫、萱野 稔人 他

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評価★★★★★


敬愛するエコノミスト、水尾和夫の最新作。といっても、新進気鋭の哲学者、萱野稔との対談を新書化したもの。
 
水野氏は、1973年の第一次オイルショックを契機に先進国と新興国の交易条件が悪化、先進国の企業は儲からなくなったことに着目する。その証拠として、低金利がずっと続いているからだというのだ。金利は長期的にみて利潤率と等しくなる(だって、金利が高ければ企業は事業を続ける意味がなくなり、利潤の方が高ければ銀行に金を預ける意味がなくなる)。すなわち、低金利が続いているということは企業の利潤率が低迷していることの証左なのだ。それでもその後、なんとか企業努力で利潤確保がなされてきたが、95年以降の資源高はオイルショック以降の企業努力を吹き飛ばした。実際、金利は1997年の金融危機が終わっても10数年も上がっていない。いざなぎ超えの景気時にも金利は上がらなかったのだ。先進国では久しく儲けることができなくなっているのだ。実は封建制も16世紀後半の利子率革命(農民の賃金向上)で儲からなくなって終わったとする。哲学者ドゥールズも「封建領主は利潤率が下がって次の新しいシステムを求めたために資本主義が始まった」と考えていた模様で、「日本の長期金利も利回りが2%を切って14年が経過、アメリカもイギリスも早晩2%を切るだろう。もはや資本側はリターンを手にできておらず、今は16世紀と同じで転換期を迎えている」と言う。

一方、対談相手の萱野は、「資本主義は商人たちの遠隔地貿易に原型を持つと言われるが、それは市場経済の原型であって、資本主義経済は交換よりも略奪、つまり、一国の軍事力を背景に有利な交易条件を確立することで成り立ってきた」と主張する。「19世紀のイギリスのヘゲモニーが、教科書が示すような産業革命によるものではなく、新大陸や海の略奪という空間革命による資本集積が大きかった」と。えっ産業革命じゃなくて空間革命なの? って、正直、目から鱗だったが、それは「デフレの正体」で著者の藻谷浩介が主張していた、日本経済の成長は3種の神器などのイノベーションなどにあるのではなく団塊の世代の消費拡大など人口動態によるという話と軌を一にする。

問題はここからだ。1990年代後半に入り、儲けがなくなった企業は、米国を先頭として人件費抑制に走る。人件費抑制は利益を増やすためで、実際、99年からは売上高が増えても労働分配率は下がる傾向がずっと続いているとい。更に米国では、実物経済下で資本投下してもリターンが少ないため、金融経済化による資本増殖にも舵を切る。強いドル政策で経常収支を上回る資本流入を得て、差額を海外に投資し高いリターンを上げる。しかし金融経済はある時点で必ずバブルを求め出すものであり、米国は国内市場にITバブルや住宅バブルをつくるようになり、そこでもキャピタルゲインを求め始めた。得てしてバブル化はその国がいま絶頂にあること、ヘゲモニーを持っていることを象徴している。だから、バブルが崩壊すれば、その国のヘゲモニーも終わるわけだ(ただし、萱野氏は「中国にヘゲモニーが移るというよりも、高い利潤を生み出す国と資本をマージする国に別れ、欧米が共同でヘゲモニーを持ち、中国などが分け前を取り合う形になるのでは」とする)。でも、どっちにしても新興国中産階級が増えれば、資源はどんどん足りなくなり価格が上がっていくのが必然。そもそも資本主義は安く仕入れて高く売ることで利潤を稼ぐものだから、地球規模でグローバル化が進むと安く仕入れる先がなくなり、これまでのような先進国の人々だけ、つまり世界のうち最大15%の人口だけが果実を得るシステムが機能しなくなる。事実、先進国ではいまや共通して低成長下のデフレが進行している。新興国の台頭で資源価格が高騰するから、他のものが安くなり、必然的にデフレとなる。しかもグローバル化による国際的な労働者間の競争で、賃金レベルも下がっていく。グローバル化はプラスサムではなく、ゼロサムになるのだ。悲しいかな、われわれ先進国の中産階級が、今以上に没落していくのは避けられないのである。とはいえ、中国やインドでも少子化が進展。中国やインドの成長が止まったとき、世界にはもう経済を牽引できる国が存在しなくなる。そのときこそ資本主義の終焉だという。

その後、二人の主張は、「日本のバブルはアメリカの仕業」「バブル崩壊は米ソ冷戦の終わりで日本の金が必要でなくなったため」といった眉唾な陰謀論じみたところに入るが、「日本が1989年12月に日経平均株価が3万8000円をつけるが、翌年、米国の投資家はいっせいに売り浴びせに走ったこと」などの事実を見るとまったくのデタラメとも言えない要素も感じてしまう。

まあ、とにかく、過去15年近くずっと金利が上がらずGDPも給料も上げっていないのだよ、みなさん。しかもこの先、日本では一気に人口が減る。日本は明治元年に3400万人、1945年に7200万人だったのが1967年に1億人を超えていて、その人口増加率は世界最高なのだから、そのぶん高齢化のスピードも世界最高なのは当たり前なんだよ、みなさん。ひとつ挙げれば、住宅総数は5800万戸、一方で世帯数は5000万戸。すでに住宅は800万戸も余っていることを見ても、これからは買い替え需要しかないことが分かるだろう。経済成長は所与のものではない。かといって経済成長のないところに希望は見えない。二人は経済成長前提から脱却しないと財政問題も解決しないと口をそろえるが、われわれはどう生きるべきなのだろうか。

最後、萱野氏は「環境ビジネスの拡大」に期待を寄せるが、池田信夫が批判する通り、エントロピー的に効率の悪い環境ビジネスがわれわれを救うことはないだろう。一つだけ、理解できるのは、為替が円安よりも円高で資源高を吸収した方がいいということ。それは、わたしが働く業界でもそうなっている。鉄鋼価格やガス価格の高止まりはどうにもならないレベルになっているからだ。嗚呼、読後は絶望を感じてしまうけど、現実である。歴史家のような視点を有した二人だからできる、なかなかに衝撃的な対談の書であった。