映画「ラスト、コーション」  (2008.2.20)

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評価★★★

  「グリーン・ディスティニー」で一躍有名となった台湾人監督アン・リーの最新作。07年ヴェネチア映画祭金獅子賞受賞。原作は、1920年香港生まれの女流作家、アイリーン・チャンの小説「ラスト、コーション」という。ラストは色(欲望)、コーションは警戒。タイトルが示す通り、エロティックなシーンがあり、17才以下は見れない。そのため、映画館は平日というのにスケベなシーン目当てのオジさん、オバさんらで満杯。いつも思うが、映画にこうした文化的なニオイを多少なり放つ(つまり文化を隠れ蓑にした)卑猥なシーンがあると、中年壮年の観客が急にドカっと増える。例外なく確実に増える。映画館は回春の場所ではないのだよw。しかも、本映画の卑猥なシーンは、実はフランス映画におけるそれのように官能的ではなく、いい意味での未熟さが見え隠れするほどに静溢なものであったのに。。。
 
 主人公の若き女スパイ、ワン・チアチーは1930年代末、日本軍の中国侵攻を逃れ移住した香港での大学生活中に、演劇部を通じて愛国思想に傾倒する。抗日活動の標的に据えた敵は、日本が蒋介石の国民党政府に対抗して建てた傀儡政権に協力する漢奸(売国奴)、イー。ワンは自らの体を投げ打ってイーに近づき、隙を突いて暗殺の機会をうかがう。
 
 しかし、イーは慎重で警戒心が強い。ワンに惚れ、ワンに夢中になってはいるが、愛するゆえかワンの言動一つ一つに注目し、そこからワンの心の中を探り出そうとする。ワンにしてみれば、演技が演技だとバレてしまいそうで怖い。「イーは体の中だけではなく心の中まで蛇のように入り込み、体と同時に心まで奪い取ってしまう」のだ。イーを自分の色香に陥落させるつもりでいたワンだが、陥落したのはワンの方だった。
 
 映画館には、文芸評論家の福田和也がいた。奇遇なことにワタクシ、前日に本映画に対する彼の評論を読んでいたのだ! そこで確か彼は「舞台に組まれた上海の町並み、社会風景は、あの時代を正確に再現している」みたいなことを書いていた。私は当時の上海に関して不勉強のため検証できる立場にないが、本映画における上海は、戦争の代償である領土分割の結果、中国文化と西洋(フランス)文化を折衷・融合した、悲しくも美しい国際都市を実現していた。そして、そこに息づく人々は、侵攻してきた日本軍の管理に耐えつつ、その華やかな折衷文化を謳歌していた。わたくし、図らずも「桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている」という梶井基次郎の詩を想い出してしまった。もちろん、この映画の美しさや面白さと、その詩が伝えるもの悲しさはまったく関係ない。