エッセイ? 評論? 「日本語が亡びるとき」 水村美苗著

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
(2008/11/05)
水村 美苗

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評価★★★★

 最近、本屋に平積みになっている話題の本だけど、煽り立てて買わせようとするタイトルがいやで読もうと思わなかった。タイトルが胡散臭いって思わない? オレだけかなあ。ちなみに著者の水村美苗さんっていう女性小説家がいることも知らなかった。でも、うちに終電逃して泊まった青年が貸してくれた。正直、面白くなければ途中でやめようと思ってたw。

 が、読み出してびっくりした。特に、始めの30ページくらいかな、著者の文体はほどよく美文調で、古風ながらもリズムがあり、息づかいを感じさせる。かの日本近代文学の文豪のよう。文豪の名前は夏目漱石。オレ、夏目漱石の小説が好きだから、文体が似ていることくらいなら分かる。急いで、Wikipediaで「水村美苗」のことを調べてみると、案の定、著者は文壇では漱石そっくりだと評価されていた。

 閑話休題。内容は、世界でも比類なき歴史的蓄積を誇る日本語が、他の主要言語であるフランス語などと同様に、グローバル化の激震によって「亡び」始めているんだよ、と訴えたもの。カタカナやひらがななど文字の成り立ちや、現在の日本語に至った歴史的背景についても、他の言語と比較しつつ論理的に、しかも作家らしく情緒的に、しかも女性らしく控えめで誠実に、訴えているから、わかりやすい。実はオレが知らないことだらけだから、勉強にもなる。一部、論理が飛躍していて納得いかない部分もあるが、まあ著者は学者じゃないもんねw。
 
 しかも著者は、単に時世を憂いているだけではない。現在の日本語は、かの明治維新の際、欧米列強の高度な文明に衝撃を受けた志士や学者たちが、西洋からあらゆるものを翻訳・吸収して学び取ろうしたという「西洋との接触」の中で大きく醸成・発展形成されたものだから、グローバル化による英語の圧力を排除すべきとは考えていない。だって、そもそも排除など言論統制でもしない限り、無理だもんw。しっかり英語教育に力を入れて国力の相対的弱体化を防いだ上で、国語教育にも力を入れるべきだ、その教育は漱石らの近代文学さえあればいい、という考え。むかし、浅田彰村上龍との対談で、「国語の教科書には、漱石さえ載せていればいい」と盛んに言っていたのを思い出す。

 彼女は幼少の頃に米国で生活し、その結果、日本に住む日本人よりも、日本語という「ガラパゴス化された」島国の中に息づいた言語の美しさ、深みに鋭敏になったんだろうな。でも、おそらく、この本も、この本の中にある誠実な著者の訴えも、悲しむべきな哉、茫々と流れる日本のマスメディアと情報空間の中で、すぐに忘れさられるだろう。