「ガリア戦記」  ユリウス・カエサル著 

ガリア戦記 (講談社学術文庫)ガリア戦記 (講談社学術文庫)
(1994/05)
G.J. カエサル

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評価★★★★★

 共和制ローマ時代の将軍にして政治家、ディクタトル(独裁者)、ユリウス・カエサルが書いた、自身のガリア戦争の記録。カエサルといえば。いまの太陽暦の基となるユリウス暦をつくった人。偉大さを称えられて、7月がユリウス(Jullius、英語だとJuly)と呼ばれるようになったほど。ちなみに、シーザー・サラダや帝王切開のシーザーとは関係ないw。

 ガリアとは、紀元前900年頃に中央ヨーロッパから移住してきたケルト人たちが住んでいた地域のことで、当時はライン川以南のドイツからオランダ、ベルギー、フランス、スイス、北イタリア、果てはイギリスまで広がっていた。今ではアイルランドスコットランドウェールズ、北フランスあたりに残っているぐらいだけど。ゲルマン人と同じく金髪で背が高く、ローマ人に比べ生活水準は低かったが、短躯のローマ人を馬鹿にしていたという。

 さて、都市国家ローマは、戦争でスペインや北アフリカギリシャを属州とするなど、領土と富を拡大させていた。ガリア戦争は始め、ローマの属州を脅かした或るケルト民族との対決に、カエサルが軍団兵を伴って赴いただけだった。それがなぜか、全ガリアを平定することになる。始めの2年で平定の目的は達成されるが、その後、幾度も謀反を起こされ、その鎮圧のために時間を費やし、結果的に戦争はなんと8年間。よく金も体力も続いたものだ。ブリタニア(イギリス)まで足を伸ばしている。ただ、当時のケルト人はどの民族も地域ごとに血縁中心の小集団を形成。ローマ人に比べて体はデカく、粗野でパワフルだが、まともな軍隊組織を持ってない。個々の民族は自主独立の気概が強く、一方で政治も未発達なため、求心力も組織力もない。反面、ローマは当時すでに市民皆兵の体制こそ終わり、傭兵による志願部隊ではあったものの、知識や経験の伝承による技術力に優れ、高度で大型の武器を有し、戦術に長けている。食料補給の力が問われる長期戦では組織力の高さをいかんなく発揮する。そこに知力・胆力が類稀なリーダー、カエサルが自ら進軍のラッパを吹いて叱咤激励するのだから敵などいない。たった8万の軍隊で、8年間もの長い間戦い続け、合計300万人もの敵を撃破した。
 
 文章はシンプルで読みやすい。「むきだしで率直で、優雅である」(キケロ)。確かに、3人称の文体で冷静に戦況分析する様子は自己抑制的で、英雄にありがちな自画自賛の尊大さが微塵もなく、きわめて客観的だ。戦争の各局面における狡知な状況判断、前線に赴き相手をみて恐れる軍団兵を叱咤激励する統率力、打ち負かした相手に対する慈悲深い対応とその逆に時には残忍さをも厭わない胆力。リーダーとしての真の才覚とはこうあるべきなのか。自分と比較すればするほど、悲しくなるw。