小説 「柳橋物語・むかしも今も」 山本周五郎


柳橋物語・むかしも今も (新潮文庫)柳橋物語・むかしも今も (新潮文庫)
(1963/03)
山本 周五郎

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評価★★★★★

  2年前に定年退社した会社OBがmixiのレビューで絶賛していたので、山本周五郎「さぶ」「樅の木は残った」に感動した私は、また感動できるかなと期待して読んだ。
 
 「柳橋物語」
 江戸時代の江戸・神田茅町。杉田屋という大工の棟梁の屋敷の隣に住む髪結い床の娘、おせん。両親をなくし、祖父と二人でつつましく生活している彼女は、杉田屋に修行に来ている若い職人、庄吉と幸太に気に入られている。庄吉は口ぶりの優しい、真面目な青年。幸太は口は悪いが有能な青年。ある日、杉田屋棟梁の跡取りに幸太が決まることとなると庄吉は「幸太をともに働きたくはない。屋敷を出て大阪で働くから5年待って欲しい」とおせんに告白する。突然、プロポーズされたおせんは庄吉の誠実さに惹かれ、その場で「待ってる」と答える。庄吉が出て行くと、今度は幸太が徐々にいい寄ってくる。おせんは庄吉を待つ身であり、はっきり断るも、庄吉からは手紙が一度来ただけで、その手紙には「帰るまで返事してくるな」との言葉もある。そんな折、江戸に大火が起こり、おせんは足腰の弱くなった祖父と一緒に古い家屋に留まったまま、火に包まれていく。必死で救い出してくれたのは幸太。彼は自分の身も杉田屋の事情も顧みず、祖父を背負って救い出そうとする。しかしながら火はおせんと幸太らの行き先々にもやってきて、逃げられない。神田川のそばで必死に二人に水を与える幸太。しかもながら、祖父は憔悴して命を落とし、さらに水を汲んでこようとした幸太も疲れ果てて川の流れに飲み込まれて命を落とす。おせんは記憶をなくしてしまう。
 正直、おせんの不幸には言葉をなくす。私がもっと若かったならば、かわいそうでかわいそうで読んでられないだろう。
 
 「むかしも今も」
 同じく江戸。幼いときに両親に死なれた直吉は、親戚に育てられるも叔母のいじめにあい、その後、知り合いの指物師に預けれる。老舗の大きな指物屋で丁稚奉公としても真面目に働くも、職人らに愚鈍扱いを受けている。ただ、そこの娘、まきだけは彼になついている。そして数年がたち、病床に臥し、死を悟った親方は直吉を呼び、お前をまきの旦那にしてやって店を譲りたかったが、まきは店に修行にきている清次という坊ちゃんに惚れている。あきらめて二人を支えてやってくれ」と懇願される。息も絶え絶えの親方に懇願されて断れるはずもない直吉。ただ清次は博打好きで、彼が二度と博打をしないよう、後見をしてくれとも頼まれる。そして親方は死んで、物語は当然のこと清次が再び博打を始める方向に展開していく。
 これもすばらしい。ってか、巻末の解説にあるように、これは先の「柳橋物語」にて愛が実らなかっ幸太の恋が、直吉によって実現されているかのようである。直吉は真面目で自己抑制的、義理堅く、一途であるが、そうした性格は時に読者によってステレオタイプに受け取られる懸念があるが、「柳橋物語」が先にあることでによって、読者はおせんの不幸が後世で救われたように感じるのではないか。まあ、物語の筋自体はよくあるものだとは思うが、それを上回って山本周五郎という作家の独特の文体は実に情緒的でいい。私にとっては武家ものの「樅の木は残った」よりも、下町の人情ものの方が好きだ。「さぶ」と並ぶ最高傑作ではないか。