「本を読む本」 M.Jアドラー、C.Vドーレン著 


本を読む本 (講談社学術文庫)本を読む本 (講談社学術文庫)
(1997/10/09)
J・モーティマー・アドラー、V・チャールズ・ドーレン 他

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評価★★★


元々は1940年に米国、日本では1978年に日本ブリタニカから刊行され、世界各国で読み継がれてきた読書法に関するマニュアル書。現在は1997年より講談社学術文庫から刊行されている。
まず始めに、読書の意味を提示することから始まり、読書のレベルを4段階にわけ、第一レベルである初級読書から始まり、点検読書、分析読書をへて、最終レベルではシントロピカル読書まで説明し、読者がこんど本を読むときから読書が有意義なものとなるようにいざなっていく。ただし、小説や戯曲、詩には当てはまらない。

 初級読書というのは子供が文章をようやく読み取れるというレベルで、「まだ一人前の読者とはいえない」レベルである。
点検読書からが重要で、このレベルでは、組織的な拾い読みができる段階であり、そのために必要なことは何かが明示される。一つはタイトルをちゃんと見て、序文を読んで著者の執筆目的・意図を確かめ、索引や目次をしっかり読んで構成を推察・理解する読書法が提示される。そうすれば拾い読み、速読ができるようになり、時間をかけて読む価値があるかどうかが分かるようになる。
分析読書では、タイトルの言葉を分析し、何についての本か、しっかり連想する。索引や目次を分析して、プロットを理解する(プロット以外はエピソードに過ぎない)。プロットを理解して読み進めると、章ごとのアウトラインが見えてくる。そして、頻繁に使われる言葉はまさにキーワードであることも理解していくが、通常、それらは著者が何らかの意図をもった言葉であることが多く、著者と折り合いが付かないものである。得てして重要な言葉は意味の分からない言葉なのだ。また、それら頻繁に出てくる言葉を含む文章はキーセンテンスなのだ。
 シントロピカル読書は、同一主題について二つ以上の書物を比較読書することである。
 
 という具合だ。最後、巻末の外山滋比古の解説がおもしろい。彼によれば、「日本の文化が巨大な美よりも箱庭的な美が好まれる結果、本も短い作品が好まれる。古事記から方丈記徒然草から現代小説まで、みんな短編である。その結果、理解もセンテンス単位でパラグラフは蔑ろにされやすい。センテンスごとでは叙情的になり、論理的な読み方ができにくくなる」。あー、なるほどパラグラフではなくセンテンスばかりになったから論理的じゃない、って素晴らしい指摘だと思う。さらに彼は「翻訳文化の流入以降、本は難読を強いるものと相場が決まり、悪文を読みこなすことが知的とされ、曖昧な表現も含蓄にとんだものとされ、積極的に行間を読み、悪文を喜ぶようになた。結果、本を速く読んだりすることは抵抗を感じ、本は精読するものとされている。理解が足りないのは読者の問題、いったん読み始めたら最後まで読通すべき、というのが主流の考え方になってしまった」とも語る。私もいまだに精読への強制観念から抜けきれていないw。