映画 「マネーボール」

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評価★★★★

 2002年頃のメジャーリーグオークランド・アスレチックス。そこのゼネラルマネージャー(GM)に雇われた元メジャーリーガー、ビリー・ビーンの半生を描いたもの。主人公ビリー・ビーンは、独自の「マネーボール」理論を追求し、弱小球団を再建していく。ビリー・ビーン役にブラッドピット。監督は「カポーティ」のベネット・ミラー、脚本に「シンドラーのリスト」のスティーブン・ザイリアン、「ソーシャルネットワーク」のアーロン・ソーキンという豪華布陣。

 野球チームの背広組といえば、社長やGMで、彼らは現場を知らない(とされている)のに戦術に口を挟み、選手を容赦なく解雇・トレードする憎まれ役だが、球団には必要な存在であり、チームの浮沈を握る重要な役回りにある。メジャーリーガーとして才能が認められながらも結果がでずにアスレチックスで引退し、そのままチームのスカウトに就任。その後、お金をあまり遣わずにチームを再建してほしいとGMに起用された彼は、統計学「セイバーメトリックス」から発展させたマネーボール理論の下に、イエール大卒の秀才だが野球を自分ではしたことのないデータマン、ピーターをアシスタントに起用、自分の過去の実績や経験、指導者としての直感に頼らず、コンピューターが弾いたデータをフル活用し、チームに必要な場所に必要な選手を起用・スカウンティングしていく。例えば、打者は、打率や長打率よりも出塁率を重視する。アウトカウントを増やさなければ相手の攻撃にならずに味方の攻撃が続くので、打者は安打であっても四球であってもとにかく塁に出ることが大事、というような理論である。とはいえ、さすがに従来とは違うやり方にチームスタッフや選手はみな反発、チームの監督(フィリップ・シーモア・ホフマン)は、GMの意見を聞き入れない。更に、アスレチックスのファンですら、選手としては大成しなかった金で雇われたGMビリーが周囲の意見も聞かずコンピューターだけに頼って机上の空論でチームをマネジメントしている、との批判をこだまさせる。ビリーが愛する娘もネットで散見されるGMへの批判の渦を目にし、父がクビにならないか心配でならない。もちろん、ビリーだって、自分が過去に選手としては大成しなかったという挫折を背負って生きており100%の自信があるわけではないが、なんとか自分を鼓舞しつつ、監督を無視して監督の気に入る選手や自分の価値観に合わない選手をトレードや解雇で放出し、自分のやり方を強行させていく。するとどうだろう、チームは連勝を重ね、球団史上初、リーグ史上初の20連勝をおさめ、GMの評価は一気に急騰する。ただし、プレーオフでは負けてしまい、選手時代から勝つことだけを考えてきたGMは、ボストン・レッドソックスGMとして高額報酬で誘われるも断り、今なおアスレチックスのGMとして勝ちを求めているという。

 「マネーボール」とは、ジャーナリストのマイケル・ルイスが書いて2003年に出版された本のタイトルで、選手の年俸が高騰する現代メジャーリーグで資金の乏しいオークランド・アスレチックスの強さに迫ったノンフィクション。本映画はその本を映像化したもので、まだ実在してて実際にもGMとして闘っているビジネスマンを主人公に据えるという、邦画ならあまりありえない脚本。野球漫画「グラゼニ」とテーマ、コンセプトはかなり似ている。「グラゼニ」は、野球とは結局金を絶対基準にした資本主義上のビジネスであり、能力や結果は年俸に反映されるものだ、ということを描いたものだが、もしかして「グラゼニ」は本映画の原作「マネーボール」から発想を得たのかも知れない。本映画は「グラゼニ」同様、21世紀になっても野球は古い人間たちがまともにデータなど用いないで直感や主観で差配されており、そこに当たり前の客観的理論を応用すれば簡単に新しい風をもたらすことができるということであり、こう書くとありきたりかもだが、内容は滋味深い。ってか、一般的なエンタメ映画のような、感動巨編的しらじらしさがまるでなく、最後20連勝のクライマックス時にも選手と抱き合うような大きなハッピーエンドもない。なんだかいつの間にか終わるのだ。台詞は日常的の在り来たりなもので、いわゆる派手なスポーツ映画にありがちな、もったいつけた言い回しで選手をモチベートすることもない。ストーリー展開も現実的で、何か事件が起きて急展開するといったこともない。まったく客に媚びてないのだ。ブラッドピットもかっこ良すぎず、逆にださいくらい。かといって飽きない。これは素晴らしいエンタメ映画である。

 あっ、本映画には感動的なシーンなんてほとんどないのだが、ひとつだけ、主人公ビリーの娘が奏でるギターと歌が感動的に上手で、心地よかった。また聴きたい。