映画 「猿の惑星 ジェネシス」 

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評価★

 1968年のフランス映画「猿の惑星」(同名の原作小説より脚本化)以来、何度か続編が描かれてきた「猿の惑星」シリーズの最新版。
 
 今回は、製薬企業のジェネシス社の青年研究者で、アルツハイマーに冒された父を持つ主人公(ジェームズ・フランコ)が、画期的なアルツハイマー薬を創製するところから物語は始まる。その薬の効果を検証するために薬を注射されたチンパンジー(猿ではない、APE=チンパンジーである)が驚くべき知能向上を示し、ジェネシス社は将来性のある新薬誕生に沸き立つ。しかし、そのチンパンジー、あるとき社内で暴れて人間を襲ってしまい、銃殺されてしまう。そのチンパンジーはおなかの中に子供を身籠っており、銃殺を嫌がった主人公が責任もって育てることとなる。子供のチンパンジー(名前はシーザー)は、著しく知能向上した母親チンパンジーの息子だけに人間を超えるほどの能力を発揮、アルツハイマーの父や主人公が出逢った彼女(フリーダ・ピント)と心を通わせ、楽しい日々を過していくものの、体が大きくなるにつれて近所に迷惑をかけるようになり、ある事件をきっかけにチンパンジー専用の飼育施設(とはいっても、ジェネシス社の動物実験に売られていくための管理飼育所)で保護されることになる。主人を失ったシーザー、飼育所を支配するボス猿にイジメられ、飼育所の管理人にも陰湿なイジメを受ける。しかし、知能豊かなシーザーは逞しくも頭をつかってボス猿を屈服させ、一気に群れを率いるようになる。そして、飼育所を抜け出し、動物園に囲われた猿たちを助けだし、動物実験を続けるジェネシス社に復讐することとなる。ちょっと前まで親子のような関係にあった主人公はシーザーを説得し、争いをやめさせて元の家族に戻れるのか。

 という、ありがちなストーリー。もちろん観る前から分かっていたが、ここまで予定調和的だとは思わなかった。1968年の「猿の惑星」に出てくるチンパンジーはみな着ぐるみだったが、今回のチンパンジーはシーザーを含めてすべてCG。動きは比較的自然だが、虐げられるシーンや悲しんでいるシーンにおける動作や表情が人工的で、(アニメだって人工的でCGには慣れているはずなのに)なんだか感情移入できなかった。加えて、主人公にも人間的な魅力を感じない。シーザーを助けることと仕事に生きることの狭間で逡巡するといったこともなく、どっちつかずで曖昧、いや、どちらも得ようとしていて都合が良すぎている、ある意味主張のない現代的な若者像ではあるが、どうもすっきりしない。また、会社の許可もとらず副作用も考えず新薬を自らのアルツハイマーの父親で試してしまうが、それに対しても悩むことなく、あっさり為している。一方で、主人公のエキゾチックな顔立ちの獣医の彼女は、現実的な役所で、人間と猿の共存が難しいことを最初から理解しており、決断力もある。そもそも顔立ちが美しく、知性も感じさせる(上の写真)。主人公は彼女にしていた方が、ストーリーにもっと深みが増したのではないだろうか。本作品の映画系サイトでの評価はどれもそこそこ高いのだが、不思議で仕方がない。

 ちなみに、映画のエンディングもすっきりとした終わり方ではなく、次回作をにおわせるもので、卑しさすら感じてしまった。たとえ、次回作があったとしても観ないだろう。