映画 「ココリコ坂から」

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評価★★


宮崎駿の息子、宮崎吾郎の2作目。けっして評価は高くない中、あまり期待しないで観に行ったんだけど、それほど駄目ではなかった。

  物語は1963年、東京オリンピックの前年。高度成長期を迎え、日本、そして日本人が元気で活発だった当時、高校生男女が織りなす、誠実で淡い恋物語恋物語といっても、解体が決まった文化系部室用建物(=通称「カルチェラタン」)をなんとか維持保存しようと立ち上がる学生たちの熱気に満ちた青春の物語でもある。青春の物語といっても、亡くなった自分の父は本当はどんな人物で、自分とは似ているのか似てないのか、父を承認する物語でもある。これら3つのプロットが交差しながら、半ば笑いありの物語が展開していく。

 ただ、どうしても疑問がわく。宮崎吾郎はなんでこの原作を選んだのだろう。まず舞台は1960年代当時、全共闘世代らを主人公に学生運動をベースとしており、当時は良かったねと思いを巡らし賛美する「三丁目の夕日」のようなストーリーに違和感がある。当時のあの学生運動がなんであったかについてはその後にかなりの議論が重ねられてきたこともあるが、私自身は肯定も否定の評価もなく、ゆえに好意的なノスタルジーも持っていない。どちらかといえば、カルチェラタン文化遺産)を守るという大義に隠れたモラトリアム、悪く言えば偽善すら感じてしまうし、東京オリンピックが象徴する箱もの行政とそれを許容してきた時代を好意的に懐かしむのはどうも、、、、と冷ややかにみてしまう。
 続いて感じるのが、物語の基本軸が三文小説のようなメロドラマで終わってしまっていること。メロドラマというのは、主人公の海(メル)の父と海が恋する先輩の父に関することで、子供から大人まで幅広い観客を相手にしてきたジブリ映画のクライマックスとしては、物語が放つ得も分からぬ壮大さにかける。ジブリ映画によるある、主人公が飛んだり跳ねたりしながら巨大な敵やシステムと戦うってのがないから、わくわくしない。「おもいでぽろぽろ」とかが好きなひとには良いのかもしれないが、ジブリって2、3年に一作品しか作らないんだよなー。ジブリが作らなくても良かったのではないか。