「魔女の鉄槌」  苫米地英人著


現代版 魔女の鉄槌現代版 魔女の鉄槌
(2011/06/22)
苫米地英人

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評価★★★

  脳機能学者で雑誌「サイゾー」のオーナー、苫米地英人の新作。15世紀の大ベストセラーは聖書ではなく、1486年に刊行された「魔女に与える鉄槌」という、魔女を発見する手順と審問や拷問の方法について詳述された論文であり推論をベースに、世の歴史には権力者に都合のいいデマによる魔女狩りに満ちており、現代のツイッターFacebookなどSNSはそれら魔女狩りをしやすくするから気をつけなさいと強調した本。ユリウス・カエサルが「人は観たいと思う現実しか観ない」と語ったように、もともと人間の脳は自分が観たいものしか観ないようにできている。著者によれば、人が観ているものは「過去の自分にとって価値のあるものだけ」だという。そしてSNSはマスメディアと違って自分に心地よい他人の意見で構築されるメディアであり、すなわち、「真偽のあやふやな他人の言説によってつくられた世界」である。その結果、SNSに浸ることは、中世の魔女狩り時代のような検証もない嘘やデマにスピンコントロールされやすい状態を導くと訴える。

  著者はまず、世の中で歴史的事実とされていることの中には意図的な嘘や間違いによって作られたものが多いという。たとえば、まずキリスト教の開祖はパウロだという元外務省官僚の佐藤優の言葉を引く。佐藤優は、キリストの第一次資料は新約聖書しかなく新約聖書の大元はパウロの手紙であること、キリストの死後にユダヤ教とは別の宗教として定型化したのもパウロであることから、教祖はキリストでも開祖はパウロだと主張しているが、著者もこれに共感を示す。ただし著者は、325年のニケーア公会議でそれまで主流であったアリウス派を排除してアタナシウス派の三位一体説を取り入れ、イエス処女懐胎を(もともとは処女懐胎の理由などなかったにもかかわらず)教義に加えたコンスタンティヌス帝こそ教祖と述べる。だって新約聖書を(章を選んで)編纂し、現代と同じ27巻ものとしたのはコンスタンティヌス帝だからだと。

 みんなが知ってるクリスマス、12月25日がキリストの誕生日というのは嘘で、本当は12月25日は当時流行っていたミトラ教の教祖の誕生日が同日だったことを取り入れたにすぎないとも語る。ちなみにミトラは仏教のマイトレーヤと同語源らしい。もっと言うと、イエスは自分は神の子と自称した咎でユダヤ教のラビに密告されたが、実際にイエスを殺したのはローマ人。でもその事実は、ローマのバチカンに本拠をおくカトリックによって語られることはほとんどない。こうした矛盾や嘘は日常茶飯事で、湾岸戦争のときの宗教家たちは「murderとkillは違う。人間が人間を殺すのがmurderで、戦争はkillだから許される」とのたまい、著者を驚かせたという。十字軍も最初は単なる異端征伐で、魔女狩りみたいなものであった。そして、フランス政府に優遇を受けて勢力を拡大した騎士修道会のひとつ、フリーメーソンとのつながりも噂されるテンプル騎士団は、第一回十字軍(1096ー1099年)に活躍したが、のちにフランス政府から迫害を受ける。いわゆる「13日の金曜日」は、1307年に時の国王フィリップ4世が一気に捕縛した日に起因するらしい。魔女狩りで敵をつくることでキリスト教は発展したのだ。

 非事実が権力者によって事実化されていくのはカトリックのことだけではない。プロテスタントでも同じだ。教会をcongregationからchurchにかえた英国ジェームズ1世は1611年、自分に都合のいいように解釈できる聖書として欽定訳聖書をつくる。それをアメリカに持っていったのがピューリタンで、その聖書をもとに彼らはインディアンを虐殺し、彼らがつくったハーバード大イエール大学では現在でも欽定訳聖書が使われているという。

 じゃあ、神道はどうかと言えば、神道は単に明治政府がつくった人口宗教で、天皇家も江戸時代までは仏教を信仰していた。その仏教だって同じだ。とはいえ、仏教はインドの一割しか信じられておらず、スリランカミャンマー、ネパール、チベットくらいで2億人いない(日本は葬式仏教)。中国・韓国や日本で人々に広く信仰されているのは実は儒教であり、足せば15億人にも達する。ただ、儒教は支配者が使いやすい民衆に教育するためのもので、「40にして惑わず」は「惑わず奴隷の道をすすめ」という意味である。実は世界的宗教って、プロテスタントがそうであるように、どれも禁欲主義的な教義があり、それは民衆に禁欲を強いることで支配者が民衆を使いやすくするためにあるとする。ただし、プロテスタントの強い禁欲主義は資本主義を発展させた。

 権力者はなぜかくも金銭欲と支配欲をもつのか。それは彼らがリアリティーを感じているからである。Aを実行したらBを得た。たまたまAを実行したらBを得てしまった。その経験がリアリティーになる。オレオレ詐欺の犯人だって、成功したときに得られるものへのリアリティー、息子になり切るリアリティーを持っており、失敗したときのことなんて考えない。

 ただ本書、後半から陰謀論めいた主張が目立ち、ちょっと引いてしまう。「日本政府は900兆円もの借金があるというが、資産も450兆円ある。ほかに対外純資産は240兆円ある。借金ばかり取り上げるのは財務省の誘導である。東電の救済策だって、実は東電には不動産や証券などの資産がたくさんあり、給与も高く、年金も高額だ。なのに年金の取り崩しはしないという。結局、権力者は自分に都合のいいことしかしない」っていう主張は、私もその通りだと思う。「アラブの民主化を策動したのは9分9厘CIA。facebookに書き込みをしたのもCIAで、ベルリンの壁崩落の前にもCIAが絡んでいた」ってのも許容範囲だ。「2007年6月、イタリアで13兆円もの米国債をもつ日本人(うち一人は元財務大臣の弟)が当局に拘束された。13兆円もの米国債を持つ日本人なんて平成天皇しかいない。天皇の銀行口座の一つは、戦前からスイス・バーゼルのBISに設けられており、BISは世界各国の国家元首の個人口座を持つ。ヒトラーも持っていた」ってのも、あり得る話だ。「結局は原子力推進で決着するだろう。権力者がそれを望んでいるから」も、まあそうなるかも知れない。ところが、「政治家の追い落としには電通B層(=おばかな非インテリ層)戦略がある。電通はもともと対外スパイ活動の通信社で、戦後GHQに認められて再び勢力をのばした。電通批判はマスコミのタブーであり、裏にはアメリカの存在がある。政権攻撃の裏にも電通の影響力があるはずだ。電通はFBと2011年2月に排他的提携を結んだ」ってことになると、怪しさを禁じ得ない。「FBがツイッターを買収するのは既定路線である」は、読んでて笑ってしまった(本当だったらごめんなさい)。

 とはいえ、最後は苫米地せんせらしい。SNSは刷り込み効果を発揮できるメディアだという。刷り込み効果とは人は最も回数多く目についた人や物に好感を持つとすること。自分に言い聞かせるアフォメーションによって人間はどこまでも成長できるが、そのアフォメーションだってもっぱら言葉の想起性にもとづくために、刷り込みには多大な効果がある。更にSNSは情報ソースや信憑性の裏付けのない、専門家ではな知人の噂話である可能性が高く、SNSに人がなれていくことで、人は情報ソースと信憑性を疑わなくなる。現代社会は中世に逆戻りするという。そして、私たちはそれを乗り越えなければならないと。文体は平易で読みやすい。

脳機能学者で雑誌「サイゾー」のオーナー、苫米地英人の新作。15世紀の大ベストセラーは聖書ではなく、1486年に刊行された「魔女に与える鉄槌」という、魔女を発見する手順と審問や拷問の方法について詳述された論文であり推論をベースに、世の中は権力者に都合のいいデマに満ちており、現代のツイッターFacebookなどSNS隆盛によって魔女狩りが蘇ってきていると強調した本。ユリウス・カエサルが「人は観たいと思う現実しか観ない」と語ったように、もともと人間の脳は自分が観たいものしか観ないようにできている。著者によれば、人が観ているものは「過去の自分にとって価値のあるものだけ」だという。そしてSNSはマスメディアと違って自分に心地よい他人の意見で構築されるメディアであり、すなわち、「真偽のあやふやな他人の言説によってつくられた世界」である。その結果、SNSに浸ることは、中世の魔女狩り時代のような検証もない嘘やデマにスピンコントロールされやすい状態を導くと訴える。

著者はまず、世の中で歴史的事実とされていることの中には意図的な嘘や間違いによって作られたものが多いという。たとえば、まずキリスト教の開祖はパウロだという元外務省官僚の佐藤優の言葉を引く。佐藤優は、キリストの第一次資料は新約聖書しかなく新約聖書の大元はパウロの手紙であること、キリストの死後にユダヤ教とは別の宗教として定型化したのもパウロであることから、教祖はキリストでも開祖はパウロだと主張しているが、著者もこれに共感を示す。ただし著者は、325年のニケーア公会議でそれまで主流であったアリウス派を排除してアタナシウス派の三位一体説を取り入れ、イエス処女懐胎を(もともとは処女懐胎の理由などなかったにもかかわらず)教義に加えたコンスタンティヌス帝こそ教祖と述べる。だって新約聖書を(章を選んで)編纂し、現代と同じ27巻ものとしたのはコンスタンティヌス帝だからだと。

 みんなが知ってるクリスマス、12月25日がキリストの誕生日というのは嘘で、本当は12月25日は当時流行っていたミトラ教の教祖の誕生日が同日だったことを取り入れたにすぎないとも語る。ちなみにミトラは仏教のマイトレーヤと同語源らしい。もっと言うと、イエスは自分は神の子と自称した咎でユダヤ教のラビに密告されたが、実際にイエスを殺したのはローマ人。でもその事実は、ローマのバチカンに本拠をおくカトリックによって語られることはほとんどない。こうした矛盾や嘘は日常茶飯事で、湾岸戦争のときの宗教家たちは「murderとkillは違う。人間が人間を殺すのがmurderで、戦争はkillだから許される」とのたまい、著者を驚かせたという。十字軍も最初は単なる異端征伐で、魔女狩りみたいなものであった。そして、フランス政府に優遇を受けて勢力を拡大した騎士修道会のひとつ、フリーメーソンとのつながりも噂されるテンプル騎士団は、第一回十字軍(1096ー1099年)に活躍したが、のちにフランス政府から迫害を受ける。いわゆる「13日の金曜日」は、1307年に時の国王フィリップ4世が一気に捕縛した日に起因するらしい。魔女狩りで敵をつくることでキリスト教は発展したのだ。

 非事実が権力者によって事実化されていくのはカトリックのことだけではない。プロテスタントでも同じだ。教会をcongregationからchurchにかえた英国ジェームズ1世は1611年、自分に都合のいいように解釈できる聖書として欽定訳聖書をつくる。それをアメリカに持っていったのがピューリタンで、その聖書をもとに彼らはインディアンを虐殺し、彼らがつくったハーバード大イエール大学では現在でも欽定訳聖書が使われているという。

 じゃあ、神道はどうかと言えば、神道は単に明治政府がつくった人口宗教で、天皇家も江戸時代までは仏教を信仰していた。その仏教だって同じだ。とはいえ、仏教はインドの一割しか信じられておらず、スリランカミャンマー、ネパール、チベットくらいで2億人いない(日本は葬式仏教)。中国・韓国や日本で人々に広く信仰されているのは実は儒教であり、足せば15億人にも達する。ただ、儒教は支配者が使いやすい民衆に教育するためのもので、「40にして惑わず」は「惑わず奴隷の道をすすめ」という意味である。実は世界的宗教って、プロテスタントがそうであるように、どれも禁欲主義的な教義があり、それは民衆に禁欲を強いることで支配者が民衆を使いやすくするためにあるとする。ただし、プロテスタントの強い禁欲主義は資本主義を発展させた。

 権力者はなぜかくも金銭欲と支配欲をもつのか。それは彼らがリアリティーを感じているからである。Aを実行したらBを得た。たまたまAを実行したらBを得てしまった。その経験がリアリティーになる。オレオレ詐欺の犯人だって、成功したときに得られるものへのリアリティー、息子になり切るリアリティーを持っており、失敗したときのことなんて考えない。

 ただ本書、後半から陰謀論めいた主張が目立ち、ちょっと引いてしまう。「日本政府は900兆円もの借金があるというが、資産も450兆円ある。ほかに対外純資産は240兆円ある。借金ばかり取り上げるのは財務省の誘導である。東電の救済策だって、実は東電には不動産や証券などの資産がたくさんあり、給与も高く、年金も高額だ。なのに年金の取り崩しはしないという。結局、権力者は自分に都合のいいことしかしない」っていう主張は、私もその通りだと思う。「アラブの民主化を策動したのは9分9厘CIA。facebookに書き込みをしたのもCIAで、ベルリンの壁崩落の前にもCIAが絡んでいた」ってのも許容範囲だ。「2007年6月、イタリアで13兆円もの米国債をもつ日本人(うち一人は元財務大臣の弟)が当局に拘束された。13兆円もの米国債を持つ日本人なんて平成天皇しかいない。天皇の銀行口座の一つは、戦前からスイス・バーゼルのBISに設けられており、BISは世界各国の国家元首の個人口座を持つ。ヒトラーも持っていた」ってのも、あり得る話だ。「結局は原子力推進で決着するだろう。権力者がそれを望んでいるから」も、まあそうなるかも知れない。ところが、「政治家の追い落としには電通B層(=おばかな非インテリ層)戦略がある。電通はもともと対外スパイ活動の通信社で、戦後GHQに認められて再び勢力をのばした。電通批判はマスコミのタブーであり、裏にはアメリカの存在がある。政権攻撃の裏にも電通の影響力があるはずだ。電通はFBと2011年2月に排他的提携を結んだ」ってことになると、怪しさを禁じ得ない。「FBがツイッターを買収するのは既定路線である」は、読んでて笑ってしまった(本当だったらごめんなさい)。

 とはいえ、最後は苫米地せんせらしい。SNSは刷り込み効果を発揮できるメディアだという。刷り込み効果とは人は最も回数多く目についた人や物に好感を持つとすること。自分に言い聞かせるアフォメーションによって人間はどこまでも成長できるが、そのアフォメーションだってもっぱら言葉の想起性にもとづくために、刷り込みには多大な効果がある。更にSNSは情報ソースや信憑性の裏付けのない、専門家ではな知人の噂話である可能性が高く、SNSに人がなれていくことで、人は情報ソースと信憑性を疑わなくなる。現代社会は中世に逆戻りするという。そして、私たちはそれを乗り越えなければならないと。