映画 「わたしを離さないで」 

watashi.jpg

評価★★★★★


原作を読んでいたつもりのまま映画を観た。どのシーンを観ても筋が思い出せず、うちに帰ってmixiを含めて自分が書いてあるだろうレビューを探したが、見つからず、そこでようやく実は読んでなかったのかと気付いた。記憶を勘違いするほど、私ももう年を老いてしまった。だから、これから書く文章も記憶違いかもしれないから、読まなくていい。

さて内容は、全寮制の寄宿舎で過ごす若者たちの物語。なんと彼らはみなクローン人間であり、クローンを生んだ元となる選ばれし人間が病気した際に、病いを患った臓器を丸ごと交換・提供をするために生存を許可された存在である。だけど、クローン人間も感情をもつ人間であり、友人もできれば恋愛もする。愛する人ができてもなお、クローンとして臓器を提供し、そのまま死んでいけるのか。あるいは感情を持つクローン人間の実存とは何か。感情が横溢して臓器提供から逃げないよう、しっかりと身の程を分からせる必要があり、そのための教育をほどこす機関が寄宿舎である。本作品は、クローン人間の物語というサイエンスフィクション(SF)だが、SF性はかなり弱めてあり、本来SFが有する将来への期待感もしくは不安感、それに伴うエンターテイメント性はない。クローン同士の恋愛と友情、そして別れ(すなわち死)が示唆する実存の問題に焦点を絞ることによって、クローンじゃない我々人間の胸もキュンとざわつくような、切ない人生の物語に仕上がっている。それこそ、原作者で世界の現代文学を代表する作家の一人、カズオ・イシグロが一般的に言われるところの上質な風情(感傷)「わび・さび」の世界(もちろん日本文学的なドロっとしたものではない)、をうまく汲み取ることに成功した作品と言えなくもないだろう。


俳優陣もすばらしい。主役は「17歳の肖像」で主役の女性を演じていたキャリー・マリガン。今回も年齢より少し大人びた、凜としつつも柔和さのある知性を持ち、それがゆえに人間的な深みを感じさせる役どころを熱演していた。彼女はけっして美人とはいえず、特に色気があるわけでもないが、こういう同世代の友人よりちょっと大人びてて知的で、落ち着き払った口調とは矛盾するような力強さ、深みを感じさせるような役が本当によく似合う。恋心を抱いていた相手の男性役であるアンドリュー・ガーフィールドという俳優もいい。彼は、先ごろ観た映画「ソーシャルネットワーク」でフェイスブック共同創業者として、ナイーブで頼りがいのない狭量な人物を演じていたが、今回もナイーブとはいえ、狭量とは裏表にある多感さがあふれ出てくるような役柄がよく似合っていた。友人役のキーラ・ナイトレイも、名だたる大作で主演を張ってきた彼女にしてはどこにもでもいるような木っ端女優に見えなくもなかったが、そのぶんキャリー・マリガンの新鮮な知性を引き立てていた。

まあ、脚本の監修にカズオ・イシグロを充て、主演にキャリー・マリガンを配したこと、その二つで成功は決定づけられている。私のようなメランコリックを気取る人間の琴線にビンビン触れるセンチメンタルな作品、観る人が観ればきっと分かるはず。