3.11後の原発論議についての雑感

 これまでの情報を整理しての現時点での私の考えを書きます。ど素人ですから間違い、見込み違いがあれば指摘ください。

 ISEPの飯田哲也氏と同じく今後10年くらいのうちに自然エネルギー等の活用で原発の電力供給比率を10%程度に下げられそうな気がする。ただし、核分裂・融合というエネルギー出力が他の何よりも勝り、そのためにアインシュタインら過去に数多くのノーベル賞学者を産んだ、学問上でも過去長きにわたり物理学と化学のフロンティア的位置づけにあるで原子力エネルギー技術の研究(そのための一部原発の運用)は高コストでも続けるべきと思っている。そもそも、世界に多大な数の原発があり、特に中国など工学技術が未熟で運用への信頼度にも疑問を呈さざるを得ない国が大量に原発をつくる計画にある中で、地震津波の多い日本がそれら天災にも耐えられ世界の見本となる安全な原発をつくっていくことは、まるっきり不可能だと断ずる話でもないだろう。
 
 池田信夫先生のような反発を招きやすい話で恐縮だが、私自身も今回の事故をみて、今後これからチェルノブイリ級の事故は(日本では)起こることはないと思っている。唯一、気がかりなのは中部電力が浜岡にもつBWR(沸騰水型)系の3,4号炉だが(1,2号炉は廃炉が決定)、今回の地震で冷却装置などを更に頑強にすることが決定しており、対策をすぐにやればある程度安心していいのではと思っている。ジャーナリストらがこぞって懸念を示している放射能物質による内部被爆の問題も、吸収するまでの空気中の希釈や物質そのものの半減期、人間の体がもつ排泄作用、DNAの損傷と修復機能等から考えて(政府の言う安全圏内にいる限り)それほど気にするものではなく、しかもチェルノブイリで盛んに言われた数年後のガンになる発ガンの恐れも実は因果関係を証明できるようなものではなく、確率が数100万分の1から数万分の1程度に上がるくらいのもでしかない、もしかして杞憂でしかないという学者もたくさんいることが分かってきた。プロトニウムだって人間がつくった人口物質というのがデマで、自然界に存在し、実は毒性はあっても放射線はアルファ波で壁一枚で防ぐことができ、1960年代の原爆実験時代に実験地域を生きてきた人々は微量にプロトニウムを吸収していて、それでも問題は発生していない、これからも発生しないのではという学説があることも今回で知った。

 放射性廃棄物の最終処分場がないという問題、いわゆるトイレのないマンション問題は、いずれは国内に基地を設けて解決すべきだろうけど、石油や食料の多くを輸入に頼るのと同様、市場間取引で他国が受け入れてくれるのなら活用することはそれほど悪いことではないのではないかと思っている。

 そもそも原発や火力発電所は変化する電力需要に応じて出力を調整する水力発電とは違い、一定の出力を安定的に生み出すことのできる発電システムであるためベース電力に位置づけられるが、自然エネルギーは天候条件に大きく左右されるため、ベースとなるエネルギー源としては不向きである。もちろん、天候条件に左右されないほどに太陽光パネル風力発電所を大量に設ければ(それこそ日本の国土中に敷き詰めていけば)可能だろうけど、その費用は誰が見るのか。かなりの増税に耐え、年金生活者も年金がなくてもいいというなら別だけど。更に言えば、「本当は原発なしでも現在の日本の電力供給をすべて補えるはずなのに、政府もアカデミズムも東電など電力会社の寄付金等で牛耳られ、メディアも電力会社の広告漬けにあるから原発をやめられない」という陰謀論も、そうしたしがらみが薄いはずのトルコなど新興国を含めた世界中の多くの国が(自然エネルギーだけで賄おうとせず)原発の新規着工を進めているという事実がある以上、説得力がない。

 ただし、問題は国民のアレルギーと投資コスト。今回の事故がもたらした国民の原発アレルギーの高まりは言うまでもない。投資コストについては、原発ランニングコストが他のどの発電システムより遥かに安いけれど、建設コストと廃棄コストが膨大だ。廃棄コストに、放射性物質のだす放射線が弱まるまでの何十年、何百年という時間を費用に換算すれば、ものすごい額になるだろう。ライフサイクルアセスメント(LCA)的な計算で発電コストを見直すと、実は電力会社の机上の計算より運用コストはずっと高いだろうことも分かってきた。飯田哲也さんが言うとおり、今後は対費用効果からみても建設できなくなる可能性は十分にある。だから、いっそのこと、原発アレルギーのある今、投資コストがちょっと高いとされる太陽光や風力であっても、一気に投資を進め、原子力の供給比率を今の35%から20%、10%と下げていくことが現実解ではないかと考えている。そう、結論は反原発の飯田さんと一緒だ。そして、学問的な限界が見えた将来は、当然、国内に原子力発電所は一基もなく、研究も終えていいと思っている。

 一方で、自然エネルギーを中心とした代替エネルギームーアの法則のようなイノベーションがあると言う人がいるように、私は原発にもより安全で低コストなものへのイノベーションがあるかも知れないと考えも捨てきれない。だから、研究と一部運用は続けるべきという結論になる。ちなみに太陽光発電風力発電は投資コストが安く、技術を生む理論も原子力ほど複雑なものではない様で、いずれ技術がコモディティ化する気がする。同分野での日本の高い技術がいずれ中国などに抜かれる日は近いのではないかとの不安もある。太陽光発電ノーベル賞学者は生まれないかもれないが、原発の世界はこれからもノーベル賞学者が出てくるように思えて仕方ない。

 というのがこれまでの情報をもとに現時点での私の雑感です。過去に広瀬隆らの反原発セミナーなどに参加したり今ではトンデモ系に位置づけられる脱原発カルトの関連資料そこそこ読んだことがありますがwww、基本はど素人です。単に、原発推進派も反原発派もたがいに議論を深めるのが大事だと思ってます。議論がなく楽観論ばかりで失敗の道を歩んだ太平洋戦争のようなことの繰り返しにならないよう、そして最終的にはエネルギー供給が安全でかつ安定したものとなって日本の将来が持続的に成長し、これからも子孫が健やかに生きていくことを願うだけです。冒頭に書いたように間違い、見込み違いがあれば、ぜひご指摘ください。