ノンフィクション 「日本はなぜ戦争をしたのか―昭和16年夏の敗戦」 猪瀬直樹著


日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)日本人はなぜ戦争をしたか―昭和16年夏の敗戦 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)
(2002/07)
猪瀬 直樹

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評価★★★★★


東京都副知事の作家、猪瀬直樹が1983年、なんと自身が36歳の時に書いたノンフィクション。タイトルが昭和20年夏の敗戦ではなく「昭和16年夏の敗戦」であることに不思議がる人もいるだろう。この本は、太平洋戦争で日本が敗れる昭和20年の4年前の昭和16年夏に、すでにある若き日本のエリートたちによって敗戦が予想されていたことを徹底取材で明らかにした著者渾身のノンフィクションである。日本がなぜ日米開戦を回避できなかったかについては今もって日本最大の謎のひとつだが、猪瀬直樹はかなりのところまで迫っている。よくもまあ、こんな本を36歳のときに書けたものだと深く感心する。あの、めったに同業者を褒めない日垣隆が絶賛していたほどだ。

昭和16年4月、日本本土および支配していた中国・満州を含む各地から陸海軍人や文官、マスコミなど民間企業職員から若きエリートが急遽動員され、総力戦研究所が組織された。その生々しい名前に違和感も覚えるが、当時は第一次世界大戦の経験に加えて英米の軍事研究が進み、昭和15年には日独伊三国同盟を締結、次なる戦争へ日増しに軍靴の音が強まる中、先進諸国間の大戦を迎えればきっと日本の全勢力あげなければ勝てない総力戦になると予想されていたのだ(ちなみに、現代日本には軍事に関する体系化された学問を学べるところはない)。さて、組織された若きエリート研究員に与えられた課題は、対英米開戦後のシュミレーション=「机上演習」。そして、昭和16年8月27日、第三次近衛内閣の裏側で、もうひとつの内閣、産業組合中央金庫参事の窪田角一を首班とする窪田内閣が組閣され、その模擬内閣は総力戦研究所が7月12日以降続けてきた机上演習を近衛内閣の面前で発表する。

窪田内閣の発表は2日間に渡る。米国に禁輸措置を採られた以上、資源のない日本は石油を求めて仏領インドシナに南進するしかなく、そうすれば必ず仏・蘭から英米までとの開戦が避けられないこと、そして日本と米国・英国の軍隊の実力を冷静に分析すると長期戦になり、石油を日本までどうやって輸送するかといったロジスティクスに苦労することとなり、結果的に石油備蓄量で大きく不足する日本は敗戦すること、そして不可侵条約を結んでいるはずのソ連も対独開戦を経て条約を破って進軍してくることを冷徹に予想していた。平均年齢33歳、日本の誇る「ベスト&ブライテスト」はその若さゆえに既得権益にとらわれることなく、しっかりと合理的な計算ができていたのだ。

この報告をしっかりと聴いて熱心にメモもとっていたのは近衛内閣の中の東条英機陸軍大臣であるが、彼はこの机上演習は「計算どおりにいかない」「日露戦争は戦況不利とされたが最終的には勝った」と否定している。彼は統べる陸軍の意向どおりに動く開戦派であり、近衛内閣も本当は石油が足りないことは分かっていたが、なぜか裏づけのない石油は足りるだろうという数字がひとり歩きした。まさに山本七平「空気の研究」の通りであり、橋爪大三郎がいうところの「決断の内容よりも空気感、全員一致を大切とする、合理性よりも組織目的を優先する日本社会の典型」がみてとれる。著者によれば、東条英機はその後、近衛内閣の総辞職を受けて昭和天皇から開戦回避の意向を受けつつ組閣、皇軍の指揮者である以上、なんとか開戦回避に努力するようになるが、時はすでに遅きに失する昭和20年10月。米国の圧力をうけながら日増しに膨らむ開戦の空気を変えることはできなかった。やはり日本は、下士官、将校クラスは優秀だが、支配層がダメだといわれることがよく分かる。縦の組織を横断する合理性を大所高所で見極め決断するリーダーシップがない。リーダーシップがないことは当時だけではなく、今の日本には優れた経営者がいないことにも通底している。「日本的意思決定システムには、この種の人間で満ちているのだ」(橋爪大三郎)。