やみ

評価★★★★★

2009年アメリカ・メキシコ映画。監督は米国人だが日系3世の子供だというキャリー・ジョージ・フクナガ。1974年生まれの若い監督の映画デビュー作である。 デビュー作といってもあなどるなかれ。監督は本作品をつくるため、危険を承知で御身を賭して密入国者のたむろする列車に乗り、移民の旅を経験し、中南米のギャングにも取材を重ねている。結果、本作品はこれまで観たことのない衝撃的な「移民の現実」が横溢しているのだ。

 ホンジュラスの少女サイラの元に、長らく別居していた父がアメリカから強制送還されて戻ってくる。父はサイラを連れ、もう一度アメリカに密入国することを決意する。このままホンジュラスにとどまっていても未来がないと感じるサイラもアメリカを目指し、父と一緒に大陸縦断鉄道の「移民列車」の屋根にのぼる。
 
メキシコ州タパチュラのギャング「マラ・サルバトゥルチャ」の一員、カスペルは、同じく未来のない貧しい田舎町で自由なアメリカを夢見つつ、縦社会のギャング仲間をあざむいて恋人との逢瀬を重ねている。しかし、恋人との熱愛は儚くも終わりを告げる。恋人はギャングのリーダー、リルマゴに犯されそうにあって抵抗した際に頭をぶつけて死んだのだ。愛する恋人を突如失い茫然自失となったカスペルは、強盗目的に乗り込んだ「移民列車」の屋根でリルマゴが再び若い女性を犯そうとしたとき、リルマゴを殺してしまう。
 
犯されそうになった若い女性はサイラ。組織を裏切ったカスペルには列車の屋根にとどまって米国への旅を続けるしか選択肢はない。助けられたサイラは、カスペルがギャングだと知りつつも淡い恋心を抱くが、カスペルはいまだ恋人を失った傷が癒えない。しかも、中南米全域に加えアメリカにも拠点を持つギャングが張り巡らせているだろう復讐の包囲網を考えると、近い内に追っ手が来て殺されることも分かっている。あるとき、カスペルが黙って列車を降りる。ただ、後ろを振り返るとサイラもいた。二人はついにアメリカとの国境の河に辿り着き、サイラから先に渡り始める。
 
 カスペルが所属する「マラ・サルバトゥルチャ」は、なんと現実に存在するギャング組織らしい。通称名はMS-13。入るには仲間による13秒間の暴行に耐えないとならない。敵対するギャングの誰かを殺すことで一人前となる。もともとはロサンンゼルスのスラム街で、エルサルバドル難民が白人その他のエスタブリッシュメントの偏見や差別、跋扈する他の移民や黒人ギャングの圧力から自らを守るために自ら暴力を身につけるために結成されたものだという(日本ヤクザの一部も、戦後の闇市で暗躍する三国人たちから身を守るべく生まれたとされている)。MS-13はいまやエルサルバドルだけではなく、ホンジュラスニカラグアグアテマラ中南米全域に勢力を拡大、長引く内戦とその落とし子としての戦争孤児、腐敗した社会と貧困の固定化がもたらした現実社会の縮図だとされている。

 豊かな国「日本」にいると、こうした中南米の現実は衝撃的だ。なぜ人々は生死のリスクを冒してまでもわざわざ列車の屋根に身を隠しながら米国に渡ろうとするのか。あるいは、僅かでもお金をためてビザをとって入国すればいいのではないか。生まれは貧困でも多少の頭があれば、あとは勉強して立身出世すればいいと。でも、パスポートを取得したりビザを採るには、出生証明書や身分証明書、あるいは定収を証明する書類がいる。けれど、戦争孤児には出生証明書なんてない。本作品の原題スペイン語で「名無し」。登場人物はだれもが何の証明書もない、「名もなき」人々なのだ。そして、相続税がないという既得権益者が既得権益の保持のためにつくった法体系のために、富めるものはますます富み、貧困は固定化されている。固定化された貧困には未来などない。あるのは絶望だけである。
 
 結末はけっして楽しいものではないので、万人におすすめできる映画ではない。ただし、不法移民もギャングも、それぞれにある側面では愛おしさを禁じ得ない、名もなきゆがんだ社会の落とし子であること、移民列車は彼らが希望を託した銀河鉄道、タイトルが示すように「光の旅」であるということ、そしてそれらをハラハラドキドキさせる卓越したストーリー展開ともに描ききっていることをもって、個人的には5点満点の映画と評価したい。