売文生活 (ちくま新書)売文生活 (ちくま新書)
(2005/03/08)
日垣 隆

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評価★★★

 書店員や歩合制のセールスマンを経て新聞の読者投稿の謝礼で窮乏をしのぎ、フリーのライターとして独立、今では泣く子も黙る“闘うジャーナリスト”、日垣隆が2005年に書いた新書。作家にしろ、ライターにしろ、物書きにとって、自分が書きたいものをフリーハンドで書くという自由と、生活費を稼ぎ家族を支えるというお金の問題は避けて通れない。そこで、著者は文章を売るという「売文」の歴史から原稿料の今昔、ことに夏目漱石から檀一雄樋口一葉など明治の文豪の収支決算状況を調べて紹介してくれる。当然、日垣隆だけあって、自らの収支をも明らかにし、「ライターなんて儲からない」との俗言にも噛みつく。ほんと、日垣隆って闘ってるわ〜

 原稿書きは、発注元がいて成り立つ完全な受注産業。相場はは400字詰め原稿用紙一枚で5000ー10000円。著者の平均は10000円で、著名な週刊誌で10000円、売れない月刊誌で5000円。出版ニュースなど安い媒体になると一枚2000円から始まるという。仮に10000円として毎日6枚、年間250日かいて、ようやく年収1500万円。経費の多くが自己負担なので、1500万円稼いでも年収600万円のサラリーマンと同等。毎日6枚年間250日書き続けられる人なんてメッタにおらず、結局、原稿料だけで生活していくのはかなり辛く厳しいことなのだ。
 
昔はどうだったのか。明治維新後、抑圧されていた江戸時代とは打って変わって職業選択が自由になり、文章書きがうごめき出し、活字文化が急速に花開く。テレビなど競合する娯楽も少なく、物書きにとってはまさに黄金期。結果、たくさんの文豪が生まれたわけだが、それでもお金には窮していたのだ。漱石朝日新聞社の社員、森鴎外は官吏、田山花袋は出版社記者、正宗白鳥尾崎紅葉幸田露伴坪内逍遥読売新聞社の社員であり、みんな生活の保障を得た上で著作をしたためていた。偉大なる孤高は女流、樋口一葉くらいなもんだが、おかげで彼女は絶えず糊口をしのぐような救貧生活に追われていた。明治の文豪といえど、誰もが「自由と野心と生活の問題」に悩まされていたわけだ。

 もちろん、作家には原稿料だけでなく、印税とか講演料というワザがある。漱石も晩年は講演を重ねていたし、印税で一山当てて都心に家を建てた作家は明治・大正期も戦後もそこそこ存在する。でも、だんだんと本は売れなくなり、一時は初版18万部の栄華を極めた筒井康隆でも今では平均初版4万部、先細りの一途らしい。知の巨人にしてジャーナリストのトップランナー立花隆でも(自身の経営才覚のなさにも起因しているが)窮乏にあえいでいるという。作家は年間500人(日本における文学賞受賞者の合計)生まれるが、一発で消えゆく輩も多く、残るのはせいぜい年間3ー5人。そのほか、大手雑誌・大手放送・大手新聞あわせて記者が4万5000人いる。ミニコミや業界誌等々で働く人もいるし、フリーライターがいる。編集者や学者、弁護士などにも頻繁に活字を書く人はたくさんいる。ブログを書いて急に頭角を表す一般人もわずかだが存在する。確かに資格がないから参加は誰でもできる。明治期に比べて媒体が増えて市場は大きくなったが、ライバルも増えた。今後も物書きが「自由と野心と生活の問題」に悩まされなくなる時代など来ないだろう。

 著者は、物書きにも経営的な才覚が必要だという。それは別に物書きに限ったことではなく、どの世界も一緒。センスやスキルが無用なビジネスなどない」。自身の技を磨いたり、副業するなど事業多角化の努力もなしに、安易に「文章書きなんて儲からない」と俗言を言い訳に愚痴を漏らす輩には手厳しい。要は、「編集部や世論に対する説得力が必要。それは一番資料を読んでいるやつ、一番現場を踏んでいる奴が説得力を持つ」んだ(吉岡忍)。ああ、肝に銘じないとならないわ〜。