ノンフィクション 「カリスマ ― 中内功とダイエーの戦後」 佐野眞一著 

カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉 (新潮文庫)カリスマ―中内功とダイエーの「戦後」〈上〉 (新潮文庫)
(2001/04)
佐野 眞一

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評価★★★★★

  1997年6月から日経ビジネス誌で2年ちかく連載された、佐野真一の渾身のノンフィクション。その文庫版をようやく読んだ。

 本書の主役、題材であるダイエーの創業者にして、戦後日本の流通業の代表的存在、中内功は、今からさかのぼる2005年9月、自ら2兆円企業にまで育て上げたダイエーの経営を他人に手渡して4年後に死んだ。巨額の累積債務の責任をとらされ経営から離れたわけだから、本人は失意を抱いたまま死んだと思うが、彼の訃報を耳にした私はなんだか非常に切ない、何か喪失感に似たものを感じたことを覚えている。彼の人となりや略歴、あるいは実績について、さほど知識を持っていたわけではない。ただ、彼が日本に与えた存在感の大きさに、おそらく著者の佐野が感じたものと同じような、否定肯定交じり合う魅力を感じていたのは間違いない。
 
 太平洋戦争に従軍し、人肉はむような環境からなんとか生き延び帰国。神戸の闇市で商売を知り、父の零細薬局を経て主婦の店・ダイエーを創業。一代で日本に欧米のような流通ネットワークを築き、しかも周囲の中小小売店を蹴散らし、一気に日本最大のメガスーパーにまで発展させた、まるで火の玉のごとき人物。消費者への還元という理想を旗印に、鍛え抜いた知恵と感性でもって、松下電器花王、または官僚といった既存のエスタブリッシュメント勢力と闘い続けた立志伝中の人。一方で、晩節は自らの飽くなき権力欲がそれまで培ってきた実績を汚すこととなるという、功罪、あるいは、幸不幸相半ばする、哀愁の人。
 そのワンマン経営、強権主義には異議を唱えた人も多いだろうが、私はどうしても憎めなかった。今でも、彼が会長を退任する会見の場で、「今までの人生で楽しいことなど一つもありませんでした」と語ったことを覚えている。この彼の言葉は本心だと確信している。どんなに金や権力を持っていても自分を満たすことができない人間って必ず存在するからだ。フィリピン奥地で、人間が簡単に死んでいく瞬間を見てきた人間なら尚更だろう。
 そして彼の人生は、貧しき戦後の焼け野原からがんばって豊かさを勝ち取ったどん欲な戦後日本人の象徴であり、同時に、いったん繁栄を築いたと思ってたら急速に変化する時代に通用できなくなった哀れな戦後日本人の象徴でもあると思っている。そして、ダイエーという会社もまた、戦後日本の高度経済成長、バブル景気という美酒に酔いつつもその後は一気に凋落し失われた20年のただ中にいる日本社会の雛形だとも思っている。著者の佐野も、「中内功は単に強欲な経営者でもなければ、涙もろい人情家でもない。戦後という時代と高度成長のうねりを自ら体現した代表的日本人だった」と書いているが、その通りだと思う。なにせ私、今でも彼が死んだ翌日に日経新聞がまとめた彼の功罪についての記事を、後生大事に鞄のファイルケースにしまっている。

 さて、佐野真一という著名なジャーナリスト、綿密な取材と奥深い人間考察に定評のある多作のノンフィクションライターだが、本書は彼の数ある著作の中の最高傑作ではないか。っていうか、もう二度とこんな傑作ノンフィクションは生まれないのではなかろうか。読めば分かるが、取材一つとってもその量は他のどの作家をも圧倒するほど膨大、しかも長期にわたるもので、それに見合う対価を出せる媒体がいまあるとは思えない。文章そのものは読みやすいとはいえ、著者が何度も自己反芻を重ねた跡が伺える、深い人間考察に満ちた哲学性すら感じるもので、膨大な取材量に裏打ちされた背景描写と併せ、実に充実した内容に仕上がっている。加えて驚くのは、何度か出てくる、中内本人とのやりとり。中内はよくぞ直接取材をOKしたものだと思うくらい、佐野の連載は辛辣な文面なのにだ。
 ちなみに佐野は、中内のように吹けば飛ぶような零細小売店の長男として生まれ、その実家は無惨にもダイエーのような巨大スーパーに蹴散らされたという。本書がすばらしいのは、そういう「骨がらみ」の感情がありつつも、善悪の二元論的考察に陥らず、冷静に事実を追いながら時系列に進んでいくことである。

 恥ずかしながら私、今まで本書の存在を知らなかったが、知らなくて良かった。いま一部似たようなワンマン経営者の下で働き、自分で言うのもなんだが苦労しているからこそ、むさぼるように読むことができた。そして読後感は、共感と違和感がまじりあう複雑で味わい深い、この上ない感傷となって得ることができたこのレビューを読んでくれた人でも読まないことは分かっているが、せめて同世代の人が読んでくれて議論できたら死んでもいいいいと思う。