「経済ってそういうことだったのか会議」 佐藤雅彦、竹中平蔵

経済ってそういうことだったのか会議 (日経ビジネス人文庫)経済ってそういうことだったのか会議 (日経ビジネス人文庫)
(2002/09)
佐藤 雅彦竹中 平蔵

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評価★★★

  もう10年近くも前の本。「ドンタコス」「バザールでゴザール」のコピーライター佐藤雅彦が生徒役、経済学者の竹中平蔵が先生役に扮し、経済の歴史と現在、理想と課題などを語らい合った、長〜い対談をまとめたもの。とっても簡易に表現されているので気楽に読める。通貨(お金)とは何かから始まって株式会社の歴史、そして資本主義の登場とその膨張(バブル)といった基本的なことを理解できるから、予想以上にためになる。

 ただ今は新自由主義批判、竹中バッシングの雨あられ。先日、実家帰って本書を読んでいたら、親父にまで「彼が日本をダメにした」と言われたw。理由を聞くと、「グローバリズムがどうこう、新自由主義がどうこう」なんだって。
 でも、グローバリズムって、佐藤雅彦が言うように、コーヒーに入れたミルクみたいなもので、遅かれ早かれ混じっていくものだ難しい。そもそも、みんな新自由主義の意味を分かって言ってるんだろうか。当然、自由主義から発展したもので、自由主義と同様、大半のことは市場(競争)に任せれば勝手に上手くいくから政府はできるだけ小さくすべきだというのは同じ。でも、それだと競争の中で取り残される人もたくさんでてくるので、セーフティネットなど体制整備、あるいは人が帰属する社会の方を大きくすることで、人々が取り残されようにしようというのが、新自由主義なんじゃないかなあ。そこを履き違えて、単に「なんでも自由主義→過度の競争→格差が進み地方切り捨て・不況の深刻化」みたいな論説ばかりがメディアで横行し、そこにもともと日本人の、金(金融)とは強欲で低俗、胡散臭いという感情が混じり合って、新自由主義の小泉・竹中は不況と格差の元凶みたいなことになっている。ブッシュ前大統領が一時染まったネオコン主義あたりともごっちゃになっている気もするね。
 たださあ、竹中氏の政策によって格差は一時的に拡大し、地方も疲弊したとしてもだよ、長期的にはどうなのさとも考えようよ。従来通り、公共事業費をわんさかばらまき、モルヒネ的に生き延びらせることが地方経済にとって長期的に正しいことなのかなあ。放っておいてもグローバル化の波はどんどん押し寄せる中、終身雇用という高コスト構造を持つ日本企業、関税や規制で守られた国内産業が、ビックリするほど安価に製造できる中国企業との競争に負けて日本国内が低迷に陥ることは、一つの時代の現象として当然の成り行き。どんな政治家、経済学者でも止められない。ならば、数年先に復活できるよう政策を選択することはありえると思うんだけど。まあ、変革のスピードが性急すぎたのかもだけど。
 
 まあ、政策の結果は後世の人間に判断してもらうとして、ともかく彼は経済のイロハを実にわかりやすく述べられる、経済学者としては非常に希有な人物であるのは間違いない。ほんと、他の経済学者の話なんて、ほとんどがお経のようで読んでも聞いても途中で眠くなっちゃうもの。

 さて、いろいろ勉強になったけど、考えさせられた文章を一つ紹介して終わりにしたい。

 たしかこんな文面だったかな。「江戸時代の社会は確かに循環型社会で、多くのものを再利用していた。藁ができる稲しか作らず、稲を取って残った藁で屋根をつくり、それでも残った藁でワラジもつくった。その一方で、持てる量が限られ循環させないと成り立たないから、増えすぎた人間を間引いていた。循環型社会って、ある側面では怖い社会である」。

さて、みなさんはどう思う?