小説 「邪宗門」  高橋和巳著

邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)邪宗門〈上〉 (朝日文芸文庫)
(1993/06)
高橋 和巳

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評価★★★★★

 1931年生まれ、京大助教授時代に全共闘運動に参加、71年に39才で病死した小説家の血と汗の結集、集大成ともいえる小説。しかし残念ながらすでに絶版、古本屋でプレミア付きで買うしかない。オレは2000円で買っちゃった。

 内容は、ある架空の新興宗教の発展から解散までの盛衰史といった感じだろうか。架空と言ってもモデルは大本教大本教とは、1892年に出口ナオという農婦が興し、2代目聖師の出口王仁三郎の時代に、王仁三郎の魁偉な風貌には似つかない知性、あふれる人間的魅力によって爆発的に信者を増やした宗教。王仁三郎は、全83冊からなる「霊界物語」(大本教の教典)をたった3日で書き上げ、生涯で100万首を越える和歌を詠み、一年で1000個の楽焼をつくり、エスペラント語の普及に熱心だった偉人。生長の家の開祖、谷口雅春世界救世教岡田茂吉らも王仁三郎の弟子として入信していて、多くの新興宗教に多大な影響を及ぼしている。結局は、すべての宗教が持っているといってもいい「世直しの思想」が不運にも当局の反感を買い、2度の宗教弾圧を受けてあえなく解散に追い込まれたが、戦後、極端な宗教弾圧がなくなってからは再興を遂げ、現在も活動を続けている。お暇な方はホームページをみてくれ。

 この小説、相当に面白いとは聞いていたのだが、面白いを越え、圧倒されてしまった。こんな小説には、なかなか巡り会えない。一つの宗教の盛衰という時系列的流れはあれど、その流れの中に一貫した主人公はいない。複数の登場人物たちが、それぞれのドラマをつくり、そのそれぞれが人生の悲哀とそこから漂う哲学性をもっている。そもそも時代背景は昭和30年代、第二次大戦へと日増しに軍靴の足音が高まる中、軍人だけではなく政治家も商売人も農民も、あるいは多くの宗教者も、誰もが大政翼賛的なるものに迎合していく中にあって、ひとつの新興宗教がその信念を貫くことがいかに難しいものであるか。戦争の不条理よって繰り返される悲劇には、思わず手に汗にぎる。こう書くと遠藤周作の小説みたいだが、本作の方が遙かに深淵だ。人間とは何か、宗教とは何か、あるいは日本人とはどういう国民なのか、といった哲学的疑問が絶えず提示され、いったん答えが導き出された気になってもその答えは再び迷宮の中に入って苦しくなる。けど、また這い上がってくるような循環を繰り返し、新たに導き出された答えとも溶け合って融合し、その禅問答のような何かが物語の幹(みき)となっている。その奥深さ、厚みは、まさしくドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に匹敵するほどだ。本作品の中の公判中の教主(王仁三郎がモデル)と検事の息詰まる対決なんて、カラマーゾブの大審院のシーンみたいだ。

 同時に、この小説を読めば、新興宗教の発生から飛躍、そして衰退という流れが俯瞰できる。なるほど、なぜ日本では多くの新興宗教が流行するだろうという要因も分かってくる。簡単にいえば、日本では、インド生まれの仏教や西洋生まれのキリスト教ではカバーしきれないものがあり、その結果、満ち足りない人々の拠り所を新興宗教が担っているということなのだろう(当たり前かw)。

 とはいえ、上下2巻総計1000ページを越えるこの小説、文字は小さく、表知らない言葉もたくさん出てくる。でも、文体はいたって読みやすく、享年39才で亡くなった著者だけに、文章は若々しさをたたえ、伝わってくるエネルギーが心地よい。いやあ、すばらしい本に出会えて良かった。