映画 「愛を読むひと」 

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評価★★★★

 95年か96年頃だったかなあ、日本でもヒットしたベルンハルト・シュリンクの小説「朗読者」を映画化したもの。その原作、ワタクシも読んでいるはずなのに内容をまったく思い出せず、記憶を呼びさまそうとチケットを買った。
 1958年、ドイツ。裕福な家庭に育つ15才の少年が通学途中に熱病に侵され、道路わきで嘔吐していた時、側を通りかかった30代半ばの女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)に助けられる。無事快復した少年が礼を伝えに女性のアパートを訪ねたことをきっかけに、二人の間には恋愛感情が芽生える。少年は高ぶった欲情の赴くまま、学校が終わると毎日女性の部屋を訪れる。最初、年の離れた二人の間には単なる性行為しか存在しなかったが、少年が学校で古典や近代文学を学んでいることを知ると、ハンナは性行為の前に、ホメロスオデュッセイア」、ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」、チェーホフ「犬を連れた奥さん」などの小説をベッドの上で朗読をするよう少年に求め始める。しかし本の朗読が一冊終わらないうちに、突如、ハンナは失踪してしまう。

 数年後、大学で法律を学ぶようになった少年は、ある課外授業でアウシュヴィッツ収容所で看守を務め大量のユダヤ人をガス室送りにした咎で裁判にかけられた6人の女性の公判を傍聴するが、そこにあのハンナの姿を発見する。彼女はナチス親衛隊に属していたのだ。ホロコーストの象徴、アウシュヴィッツの看守の裁判だけに公判中の被告人に対する人々の目は厳しく、感情論にも引きずられた裁判官の言動は、徐々に被告人に対して人格攻撃の様すら呈していく。他の被告人たちとは違い、明らかに過去の行為への責任を感じていたハンナは、過去をすべて洗いざらい正直に話していくが、そのことが逆に責任逃れに終始する他の被告人たちの反発を買い、ハンナが知りもしない契約書にハンナがサインしたとの偽証さえ受けることになる。結果、彼女は不当に重い判決を受ける。しかし、少年は知っていたのだ。子供の時の朗読を通してハンナが実はサインなどできるはずもないこと、実は読み書きのできない文盲であったことを。
 
数十年が経過し、少年は弁護士の職をえて一児の父親となったが、未だに過去の傷を癒せず、妻にも子供にもまともに心を開けない。実家を訪れた際、偶然に自分の部屋で昔朗読した古典文学を発見する。そしてもう一度、彼女に朗読することを決意する。朗読した声をテープに吹き込み、無期懲役の刑に服している彼女に郵送する。文盲のまま老婆となった彼女は、テープを受け取ったことで過去の彼との想い出を思いだし、テープを心待ちにするようになる。

 とまあ、元ナチス親衛隊の罪と、年の離れた男女の性愛という重苦しいテーマの下、ストーリーは展開していくんだけど、情けないことに最後まで読んだはずの小説の中身を思い出せなかった。それはそうと、最初は観ていて、ドイツが舞台のドイツ人の物語なのに英語だし、ケイト・ウィンスレットは少し老けたせいか、繰り返される性行為のシーンで何度裸になってもその度に美しさも上品さもなく、単に哀れな印象を漂わせ、なんだかツマラナイ作品だなと思って観ていたんだけど、裁判の場面あたりから急に面白くなった。やはり、過去の悲劇的な恋愛というセンチメンタルなシーンに戦争犯罪、戦後処理という問題が重奏的に描かれているからであろう。すべてをホロコーストが悪いと位置づけたドイツでも迷いがあるのかも知れない。少年が大人となってテープにチェーホフの小説を吹き込むシーンなんか、涙もれそうになった。でも、彼が彼女にテープを送るのは、いったい恋愛感情からなのか、公判で文盲だと証言できなかったことへの罪滅ぼしなのか、単なる隣人愛的な善行からなのか分からないが、それでもいい。逆に最後はけっしてハッピーエンドとはいえないが、悪くない。なかなか味わい深い映画だった。