評論 「うつからの脱出―プチ認知療法で自信回復作戦」 下園壮太著

うつからの脱出―プチ認知療法で「自信回復作戦」うつからの脱出―プチ認知療法で「自信回復作戦」
(2004/05)
下園 壮太

商品詳細を見る

評価 ★★★★★

 Amazon.co.jpで、「うつ」というキーワードによって検索される和書の中で、最も評価が高い書籍(09年5月現在)。圧倒的に高い評価。実際、私も読み始めてすぐにいい本だと気付いた。今まで読み漁ってきた「うつ」関連本の中で最も参考になったし、著者の熱い気持ちを感じることができる素晴らしい本であった。これを読めば、「うつ」はなんら驚くべきことではなく、多くのみんなが通る道であり、必ず治るということが信じられる。

 サブタイトルに「プチ認知療法で自信回復」とあるので、認知療法が苦手な人はタイトル見ただけで敬遠するかも知れない。今のところ「うつ」ではない私だって、発想の方法をまるっきり変えさせる認知療法は、意思の強い人に向く、ハードルの高い治療方法じゃない?って思っているもの。しかも著者自身、「論理的思考の強い欧米のものである認知療法は日本人には合わない」と断じている。だから実は本書では、認知療法のほんの一部だけを「プチっと」いいとこ取りをしているに過ぎないと理解した方がいい。

 なにしろ、この本がいいのはわかりやすいこと。うつは「疲労し切った状態」といい、疲労し切ってしまえば、少々の休息では回復しない、たとえば、親族が死んだあとに喪が完全に明けるのは一年後ということを考えて欲しい、喪の期間って合理的なものなんだ、と話を展開させていく。では、なぜうつになるかというと、人間には常に「感情のプログラム」が働くから。プログラムが作動すると、体は自らを守ろうと調整を始める。例えば、森の中で突然に熊に出会ったら、「驚きのプログラム」が作動して、出血を抑えるために毛細血管が縮み、血液は固まりやいようドロドロになる。ドロドロ血を筋肉に送り込むために心臓の鼓動は激しくなり、肩や首は衝撃に備えて硬くなる。手は滑らないよう汗をかく。つまり、何かしら「感情のプログラム」が作動すると、体がそれに合わせてしまう。「うつ」のために朝起きられないのは、体が「朝起きない方がいい」と自らを守ろうとしているためであり、眠れないのも眠れないプログラムが働いているからだとね。

 さて、そこでどう立ち直るか、そこから「プチ認知療法」による回復作業に入っていくわけだ。具体的な方策をいくつか、披瀝すれば、

 ?今感じている嫌な感じに注目し、「本当は自分を守ってくれていたんだね。ありがとう」とつぶやく。そして、その嫌な感じを言葉で表現し、名前をつけてみる。
 ?自分の呼吸を100まで数える。これは座禅や瞑想などの際に行う仏教の修養である数息観の実践を取り入れたもの。呼吸方法や姿勢なんて何でも言い。単に自分がやりたいようにやればいい。
 ?何でも7対3でいく。やりたくない気持ちが強いなら、7割やらずに3割だけやってみる。
 ?指や顔のつぼを押す。その際、同時に「私は○○だけど、そんな私を受け入れて愛したいと思います」とつぶやく。
 ?いいとこ探しをする。ポジティブシンキングではなく、単に「雨が降っているけど、この雨音がいい」といった、心地よい感じを体に与えていく作業をする。
 ?過去の楽しい思い出の中から、「私の中の宝物」を見つけ、それを思い出す。そして辛いときには「○○さん、力を貸してください」とつぶやく。

 どうだろうか? もう一つ、個人的に好きな文章を紹介したい。「本当の自分なんてない。人間の気持ちは複数ある。『本当の自分』幻想は、結局、自己否定なのだ」。例えば著者は、会社を辞めたい自分も、なんらかの事情を考えて辞めたくない自分も、みんな自分なのだと言う。これは近年、私が自分探しの果てに辿り着いた結論と一緒だ。一つの自分などない、人間は多面的なのだ。著者は防衛大卒、精神医学ではなくて心理学を学んだカウンセラーだが、こんなカウンセラーが周囲にたくさんいて欲しいと切に願う。