新書 「うつを治す」 大野裕著

「うつ」を治す (PHP新書)「うつ」を治す (PHP新書)
(2000/04)
大野 裕

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評価★★★
 「人生は、すべからく運です」 ―― これは、とある取材先の会社の社長の言葉である。東大、日銀を経て日債銀の頭取にまで上り詰めた元エリートである彼は、われわれ木っ端の業界紙記者にも偉ぶらず非常に温厚で、会話には親しみ溢れてウイットに富んでいる。いつ取材しても楽しい、そんな彼だが、有罪判決を受けたこともあるせいか(それこそ国策捜査みたいなもんだけどね)、「すべからく運」というセリフには重みがあり、すこぶる説得力がある。

 さて、なにを言いたいかというと、努力の結果にすべてが生じてくる、仏教(東洋哲学)的な意味での因果応報という説法・思想は、努力へのモチベーションを産み出す上で大切な価値観だと思うが、一方で、この世の中は、どこでも絶対的な関係ではなく相対的な関係で成り立っているだけに、タイミングとか相性とかが先行しがちな、努力だけではどうにもならないことで溢れている。それゆえ、仕方ないよ、それが人生だもんと、自嘲気味にひとりごちるとか、愚痴を言ってなぐさみものとすることがなければ、実に生きづらい。しかも、特に、豊かな社会を謳歌している先進国で、かつ今のような平和で安定的な時代においては、人生の目的は衣食住の向上とかではなく、仕事のやりがいとか、対価(金銭や社会上の立場)の獲得となりがちであり、それも努力次第でどうにでもなるというのではなくて、ギャンブル的要素の強い、不確実性に満ちた選択の結果でしかない。つまり、やりがいとか達成感も運なのだ。そうなると、高い目的意識をもって努力を傾注してきた人は、突如として悩むことになる。

閑話休題。さて本書は「うつ」のことである。几帳面でまじめ、正義感があって道徳心も豊富な人ほど、うつに掛かりやすいらしい。しかも、統計からいうと、うつにかかるのは男性よりも女性の方が倍ほどいるらしい。まあ、うつというのはセロトニンノルアドレナリンというホルモンの損失によって起こるもので、ホルモンバランスの影響を受けやすい女性が男性に比べてかかりやすいのは当然なのかも知れない。マタニティブルーとか、産後ノイローゼとか、更年期障害とかも、うつの亜種である。本書は、その「うつ」について、言葉の定義から始まり(ただし、定義といっても、著者は、「うつ(うつ病)と気持ちの落ち込みとは連続線上にあり、整理できない」と言っているから、定義がないともいえる)、各種統計、現在採られている治療手法、薬の分類など、多くのことを網羅した、極めて簡潔でわかりやすい本。アマゾンのレビュー評価も高い。ちなみに、治療に際し、著者が大切だとしているのは、「3つのC(=cognition, control, communication)(cognitionは認知という意味で、いわゆる認知療法を紹介している)。私にも同感する部分があったが、現在読んでる本には「認知療法は取り組むのが難しくて日本人には合わない」と斬捨てているw。

最後、心に響く、いい言葉があった。「うつに悩んだことやそのとき身につけた対処法は、その後の人生で必ずや役に立つはずである」。ワタクシもそう思う。いつの世も、悩み苦しんで這い上がってきた人間は、フィリップ・マーロウではないが、優しくタフである。そして、人生はすべらからく運に左右されるのだ。いまがつらくても、運は変わるものなのだ。