映画 「スラムドッグ$ミリオネア」 

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評価★★★★★

 「トレイン・スポッティング」「28日後...」 のダニー・ボイル最新作。
 ついこないだ米アカデミー賞を受賞した作品。とはいっても、過去、米国のハリウッド超大作が栄冠に輝いてきたアカデミー賞の歴史からすると、本作品はアカデミー賞に相応しい作品ではない。ハリウッド大作が有する(実体は偽善や虚像ばかりの)壮大なスケールや歴史観も深遠な物語性もなく、狭い社会におけるシンプルな成功物語の一例に過ぎない。しかも、華やかなるビッグスターがもったいつけた演技をするわけでもなく、無名で線の細い若きインド人俳優たちが自然体で演じている。
 そもそもこの映画の監督はダニー・ボイル。「トレイン・スポッティング」を観た人なら分かるであろう、彼は映画界におけるメインストリームの偉大な監督ではない。アンダーグラウンド、都会の「陰」に焦点を絞り、先鋭的で斬新な切り口を提示して観客を驚かす、いわばサブカルチャーの人なのだ。もちろん、近年のアカデミー賞はこうしたアカデミー賞らしからぬ作品が続けて受賞してきている。そうか、それはもしかしたら、ハリウッド映画人気の凋落、ひいてはアメリカがもつモダニズムの権化が発信するソフトパワーや威信の失墜を象徴しているのかも知れないw。

 ただ、この映画、あまり観る気がしなかった。なにせ社会学者の宮台真司が、「インドが舞台といっても、ハリウッド映画的。スラム街出身の少年がクイズ番組で大金を勝ち獲る、安易な成功物語だよね」と批判していたことに影響されたこともある。確かに安易な成功物語だが、それは本映画の一側面に過ぎない。内容は、スラム街での生活を負う「遠い過去」、クイズ番組おいてどう問題に対応していったのかという「近い過去」、クイズ番組でインチキをしたと警察に取り調べを受けている「現在」と、時系列が3つに分かれ、それぞれの角度で物語が展開していくという、多少なり複雑さを兼ね揃えている。

 あとね、すばらしいのは出だし。インドはムンバイにある、飛行場みたいな侵入禁止の区画で、主人公のジャマールを含む幼い2人の兄弟が、スラム街の友達と野球を楽しんでいたら、そこに警官が追い払いにやってきた。警官はしつこく子供たちを追い掛け、スラム街の中で追いかけっことなる。その際、カメラワークは一転し、スラム街を上空から見た鳥瞰図の形となり、スラム街の全貌が映し出される。スラム街は、一つ一つの家はどれも家とは言えない小屋で、汚れて秩序のないカオスだが、その小屋が無数に並び過激に密集した様は、色鮮やかで整然とし、まるで巨大な構造物かのように、秩序あるコスモスとなっている。その中での捕物帖はまさしくダイナミックだ。しかも、そこに生きる貧しき人々は子供も大人も明るく、そしてパワフルだから、すこぶるエナージェティックに感じて、あっという間に惹き込まれてしまった。

 ストーリー自体はその後、宗教的抗争によって母を失い、身よりのなくなった兄弟が、機転が利いて行動力のある兄が率いる形でなんとか生き延びていく。途中、同じく身よりのない少女を仲間に入れ、3人で生活を始めるが、一方で、そうした貧しきスラム街の子供たちの狡猾な本性を利用する大人もいる。優しく援助を申し出たNPOのボランティアみたいな男は実はギャングの親玉、男の子ならば故意に失明させて物乞いをさせ、女の子なら売春させてピンハネする。現実を知った兄弟はなんとかムンバイから逃げ出すことに成功するも、結果的に仲間の少女と別れることになり、兄弟も意見の違いから離れることになる。機転の利く兄は別のギャング組織に重用される一方、弟ジャマールは携帯電話の通信会社のお茶くみとして働きはじめ、かつて恋心を抱いていた少女ラティカを探し始める。そう、ジャマールがクイズ番組に出たのは大金が欲しいためではなく、ラティカに自分の気持ちをうったえかけるため。難しいクイズにスラム上がりの少年が答えられたのは、これまでの壮絶な人生の中でたまたま知り得た情報が問題になっていただけだった。
 
 ちなみにインド映画では、唇を交わすキスシーンていうのはご法度。公的な場所で愛情を表現する行為は禁止されているらしい。最後のキスは濃厚なものではなかったが、ああいったキスもいいと思いますw。