小説 「バルタザールの遍歴」  佐藤亜紀

バルタザールの遍歴 (文春文庫)バルタザールの遍歴 (文春文庫)
(2001/06)
佐藤 亜紀

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評価 ★★★
 週に何度も頻繁に訪れるバーでたまに遭遇する女性から「ぜひ読んで見てくださいよ」と紹介された小説。

 著者は佐藤亜紀佐藤亜紀といえば、およそ10年前、今の会社に入って2年目ぐらい、そろそろ会社を辞めようと思いつつ(笑)、日比谷図書館で仕事をサボタージュしていた時のことを思いだす。いつも雑誌コーナーで片っ端から雑誌を眺めていたんだけど、その一つに「アエラ」があって、その中の書評欄で、佐藤亜紀福田和也松原隆一郎と鼎談で書評を行っていたんだ。彼女の言葉は常に率直で鋭利、辛らつなものであったが、一方でひどく説得力を持っていた。豊富な読書量と(特にヨーロッパ文学に関する)深い文学的教養が備わっていたからだろう、小説家という表現形式への確固たる自信にもみなぎっていた。当時、彼女は30台前半でオレは20代後半、年はたいして変らないのに、これほどに教養が違うものかと打ちのめされ、なぜだか嫉妬さえ感じたほどだ。でも、彼女の小説を手に取る気にはならなかった。なぜなら彼女の言葉には、教養はあるがぺダンディック、純粋だが神経質、すべてを包摂するような柔らか味がない。おそらく小説を読んでもオレには合わないなと感じるだろうと思って、今まで読まずにいた。
 
 で、すばらしかった。巻末の解説にもあるが、着想、ストーリー展開、語り口、どれをとっても高度に考え抜かれている。さて、当の著書の主人公は、1906年にウィーンで産まれたハプスブルグ家の貴族にして双子、でも、なんと一人の体に双子が収まっているのだ。ベトちゃんドクちゃんのような感じではなく、2重人格者のように一つの体に双子が乗っている。一種、奇怪とも思えるファンタジー。その着想から発展するストーリーは、貴族という特権欲しさの陰謀が絡んだスリルあるミステリーである。ミステリーであるから、要所要所には伏線がある。ただし、それらの伏線は物語の(主人公の2重人格的な)設定と2人が互いに日記風に語っていく物語展開自体がファンタジックだから、現実か夢かよく分からなぬまま進行し、伏線が後でうまく繋がっても、そういやそうだったなという緩やかなデジャブ感があるだけだ。もちろんミステリーといっても、その中には男と女の恋愛模様も絡み込み、一方で、台頭するヒトラーファシズムの風潮という時代の雰囲気も読み進めるごとにビンビン伝わってくる。最後、読み終えた後の深い充実感もある。まさしく完成度のすこぶる高い小説。なんと執筆当時、佐藤亜紀はまだ20代だったんだ。

 ただ、難点を言えば、主人公があまり男性っぽくない。女性である著者が思う(理想的な)男性像と、現実の男性とは少しばかり乖離があるように思える。酒場で男の習性を勘違いしている若い女性が勘違いに気づかぬまま男性について滔滔と述べているみたいな。やはり佐藤亜紀はナイーブなのだろうか。加えて、読後の充実感はあるが、いささか疲れも残る。詰め込みすぎた単館系のアート映画を観た後みたいな。やっぱり佐藤亜紀ペダンティックなのだろうか。