映画  「シリアの花嫁」 

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評価★★★
1967年の第3次中東戦争以来、今なおイスラエル占領下にあるゴラン高原(国連ではシリア領であり、イスラエルだけが自国に併合したと主張している)。その高原の、あるイスラム系一派の住民が住む村から、ひとりの花嫁が出る。彼女は、シリアの首都ダマスカスで著名なTV喜劇の役者と婚約、今日これから式を挙げる。しかし問題は、結婚相手が、イスラエルと高原の領有権を争っているシリア本国に住むシリア人であること。シリア人と結婚すればシリア国籍者に認定され、2度とイスラエル占領下の村に戻れない。すなわち、結婚式が執り行われる今日この日は、姉や兄、父母や村のみんなとのいわば今生の別れの日でもあるのだ。
 
 そんな辛い結婚なんてしなければいいのに...とも思うが、考えてみると、そう思うのはワタシが日本人だからかも知れない。民族や信仰する宗教が異なる住民同士が近隣に住んでいる多民族・多宗教混在の国家においては、常にそうした自分のアイデンティティというか拠り所となる故郷・家族、更には民族や宗教を、常に重視(少なくとも意識)せざるを得ない。一方で、恋愛や結婚は、時としてそれらと相反するものになりえるから悩ましいが、そういう国では、その葛藤は日常なのだろう。この映画の花嫁は、自分の故郷・家族への愛を完全に捨て去ることで結婚を選び取ったのではなく、故郷や家族への愛を持ち続けたままで愛をも貫こうと決意した。だからこそ尚更、この結婚式の日が今生の別れとなることを覚悟している。そのせいか、物語中の彼女には始終、笑顔がほとんどない。表情から汲み取れるのは切なさだけだ。国家間のエゴイズムや歴史に翻弄される地域の中心にいる人々とはこんなに辛いものなのか。馬鹿なワタシもそれが短期的にはどうしようもないことくらい分かっているが、それでも何とかならないものか、諦めのつかないもどかしさを引きずりながら映画を観ていくことなった。

 戦争(領土争い)がいかに個々の家族や地域コミュニティを分断させるものであるか、平和がいかに尊いか。そうした当たり前のことの重要さを改めて想起させてくれる。もちろん、映画自体は単純に平和礼賛主義的メッセージに終始することはなく、どちらかといえば現実的で時にコミカルだ。最後はハッピーエンドとはいえないが、ハッピーエンドに繋がる勇気を与えてくれる。映画の背景にある現実は本当は絶望に近いほど悲劇的なんだろうけど、絶望の際から立ち昇るオプティミズムがある。観終わってみれば微笑ましさを感じる爽やかな映画だと思う。