小説 「野性の呼び声」  ジャック・ロンドン著

野性の呼び声 (光文社古典新訳文庫 Aロ 2-1)野性の呼び声 (光文社古典新訳文庫 Aロ 2-1)
(2007/09/06)
ロンドン

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評価★★★★

 「ピンクの象が見える」ーードラッグをきめた時に見える著名な幻覚の一つ。中島らもの小説などによく出てくる表現だが、それを最初に紹介したのが実は本書の著者、ジャック・ロンドンである。
 
 1876年、サンフランシスコの貧しい家庭に育ち、10歳で新聞配達、牡蛎密漁等で糊口をしのぎ、その後もアザラシ猟船乗組員など様々な職を転々。社会主義思想にも傾倒し過酷な労働現場の潜入ルポの執筆を始め、19歳でようやく高校入学。勉学に励んでUCLAに入学するも授業料が払えずすぐに退学、一攫千金を夢見てカナダ・クロンダイクのゴールドラッシュに参加する。病気で帰国した後はそれら経験を活字にした本が売れ、ようやく作家として安定した生活を送れたという。そんなジャック・ロンドンの本ゆえに、著書はもちろん、面白い。
 
 本書は、陽光あふれるカリフォルニアの裕福な大屋敷で可愛がられていた犬、バックが、庭師の背信によって売り飛ばされ、アラスカで開拓者たちの橇(そり)を引く「橇犬」として働くという話。バックは始めこそ他の鍛え抜かれて狡猾な橇犬たちに気後れするも、それら他のライバル犬や飼い主の人間らの如才ない行動を見て学んでいく中で、元来持ちえていた俊英な運動能力や鋭利な才知を開花させ、研ぎ澄ますことに成功する。最後は、自らの先祖が持っていた野性の血に目覚めたかのように、アラスカの極地で自己の帰属場所を発見することとなる。そう、主人公はなんと、犬であるw。当時のアラスカは米国人にとって開拓者精神を体現しうる最後のリゾート、人々の憧憬の地だったという。そうした時代背景が重なって本書は大ヒットしたらしいが、そんな時代に生きてなくとも十分に面白い。スリリングで展開が速く、エンターテイメント性が高いから一気に読める。橇犬としての矜持の高さはまるで戦国時代の侍のようで感心するし、周囲の状況をたがめすがめつ推し量って時を待ち、いざ好機を悟ったら下剋上、一気に先導犬にステップアップしていく様にはドキドキ胸躍らせられる。描かれた橇犬社会のヒエラルキーは、人間を含む動物すべてに存在する社会的ヒエラルキーの雛型として映し出されている。
 
 文学界では、本書には文明批判の意味が込められているとされているらしいが、私にはどうもそう思えない。ロンドンは文明批判など考えて書いたわけではなく、単純に橇犬にもドラマがあることを書きたかったのではないか。