社会評論 「ジャーナリズム性悪説」 バルザック著

ジャーナリズム性悪説 (ちくま文庫)ジャーナリズム性悪説 (ちくま文庫)
(1997/12)
バルザック鹿島 茂

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評価★★★★ 

 1843年刊行の、オノール・ド・バルザックが書き記した、パリの政治ジャーナリズム批判、政治ジャーナリスト批判の本。
 なにせ、長い人類史の中でも傑出した小説を何冊も創り上げてきた彼が、まさか、こんな世俗的で煽動的、だからこそ痛快で楽しい本を書いているとは夢にも思わなかった。しかもその内容、1843年から160年以上が経過した今もまったく色あせない。いや、政治の世界は歴史や洋の東西を問わず、まったく同じことが今尚ながらに行われているに驚きをかくせない。

 最近、気鋭のジャーナリスト、上杉隆が「ジャーナリズム崩壊」という記者クラブ批判の本を上梓している。もちろん、過去にには、立花隆や岩瀬達也らフリージャーナリストが、記者クラブに安住した日本のジャーナリズムを長く批判してきたから、上杉隆が特に新鮮なことを告発したわけではないが、それでも記者クラブの弊害はまったく改善されておらず、改善される気配もないと感じる。そもそも、第四の権力といわれるほどに既得権益の構造をもつジャーナリズムという業界には、自浄作用を期待してはいけないんだろうか?
 
 そうした嘆きを抱きつつ、バルザックの手になる本書を開いてみたら、やはり、自浄作用など期待してはいけないことに気づかされた。読み終えると、その印象は更に強化され、政治ジャーナリズムという、一種のサロン的社会そのものが、嫉妬と差別が渦巻く、排他的で、悪平等的なシステムを作り上げてしまうに違いない、と思わずにはいられなくなった。
 
  「まことに恥ずべきことだが、ジャーナリズムが何の躊躇もなく振舞えるのは、弱者か孤独な人を相手にする場合に限られる」(本書より)
   
 ところで著者のバルザック、若かりし頃より政治ジャーナリズムの世界に深く足を踏み入れていた模様。途中、ジャーナリズムの悪弊に辟易し、国会議員に立候補するが落選。糊口をしのぐために新聞小説家に転身したら、それが当たって小説家になったという。それでもジャーナリズムの誘惑に勝てず、自分の個人的政治雑誌を創刊するが失敗、それが怨念となって、ジャーナリズム批判の本書を書く事になったという。実はバルザックという人物、調べれば調べるほど、残念ではあるが、金銭に対する執着が強く、芸術への愛情も少ないと感じる。 うーん、、、、でも、そうね、それだけの俗物だからこそ、純粋な人間に潜む嫉妬、誠実なる人間が犯す裏切りといった、人間の多面性が分かりえるのだろう。そして、そんな彼だからこそ、理想と現実の間に横たわる溝の深さを鋭く切り取り、格調ある文章表現に昇華した大小説を書きえたのかも知れない。コインには裏表があるように、人間も一つの側面だけで判断はできないものだ。