小説「母なる夜」

母なる夜 (白水Uブックス (56))母なる夜 (白水Uブックス (56))
(1984/01)
カート・ヴォネガット池澤 夏樹

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評価★★★★★

 カート・ヴォネガットの作品を読むは確か3冊目だと思う。「第2次世界大戦中、ナチスドイツの対外向け宣伝放送を担当させられていたドイツ在住のアメリカ人が、アメリカ軍に乞われスパイとなる。そんな仕事を引き受けたばかりに、自分はいったいどの国に帰属しているのか分からなくなる」っていう、重くて面倒くさい話w。でも、すご〜く面白い。

 スパイともなれば、他人はもちろん、自分の家族にさえスパイであることを話せない。自分がスパイであると知っているのは、雇ってきた人間を含め2、3人しかいないものだ(情報が漏れないようにね)。一方で、それら少数の「自分を理解してくれるかに思える」連中にしても、心の中では「しょせん、スパイを引き受ける人間なんて、信用に値しない」とバカにしている。勘のいい主人公は、そうした雇い主の気持ちも理解する。結局、主人公は、誰にも本音をぶつけ合うことができず、ずっと疎外感に苛まれてしまうんだ。

晴れて終戦、やっと故郷アメリカに帰国すれど、多くの人に、ナチ礼賛の宣伝で少なからずユダヤ人600万人虐殺(本当は諸説あり)に加担したと見なされる。スパイだと知っている人間がほとんどいないから、「彼はアメリカのため、愛国心からスパイとなった」と訴えてくれる人間がいない。もちろん、主人公にしても当然、良心の呵責を感じるから、ますます生きにくい。要するに、居場所がないんだ。主人公は、自分の愛する妻と家の中で「二人だけの国」をつくることでアイデンティティ帰属意識)を維持しようとしたが、妻が死んで、それも不可能になる。やはり人間はひとりでは生きられない。
 
 結局、主人公は、自己の尊厳を少しでも回復させるには、ユダヤ人に裁いてもらうしかないと、自ら進んでイスラエルに赴き、戦犯容疑者に名を挙げる。死刑になれば、罪なのか単なる良心の呵責なのか良く分からなかったモヤモヤとした感情に終止符を打てる。罪を背負って堂々と死ねる。でも悲しいかな、裁判は主人公の希望通りには進まず、主人公は自殺を選ぶ。「母なる夜」に。

 読み終わって、これが人間の頭の中の想像力を駆使して人工的に作ったフィクションであることに改めて感心した。体験したことをベースとしたノンフィクションのように思えてならない。体験してないと書けないんじゃないかというほど、訪れる出来事がみな程よく意表を突くもので、そこに伴う人間心理は単純で、かつ、時に重厚だ。主人公は波乱万丈の人生を送りつつも「人生ってこういうもんだよな」という説得力を持っている。スパイの心情なんて知る由もないが、「もし、わたしがスパイだったら、同じように考えただろう」と共感できる。モラル(この本では「良心」の意味かな)って何だろうと考えさせてくれる。実に素晴らしい小説だ。