映画「コレラの時代の愛」  

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評価 ★★★

 昨日、九段会館に映画「コレラの時代の愛」の試写会に行って来た。
 原作はコロンビア生まれのノーベル文学賞作家、ガルシア・マルケスの同名作品。その原作は未読だが、たいそう素晴らしいらしく、以前に会社の上司が絶賛していたこともあって、そろそろ読もうと思っていたところだったんだ。それが、この度、映画化されることとなり、小説を読む前に観ていいものかという不安は感じつつも、実際はワクワク期待して観に行った。
 舞台は19世紀末から20世紀にかけ、内戦とコレラの蔓延に苦しむコロンビア。郵便配達員として働き始めた青年フロレンティーノは、配達先の成金一家の娘、フェルミナに一目惚れする。箱入り娘のフェルミナは、粗暴で厳格な父に徹底管理されており、会って話するチャンスすらあまりない。しかし、幸運にも青年の無垢でまっすぐな思いは通じ、娘は青年の純愛を受け止める。しかし、二人の仲を知った父は、二人の仲を引き裂くべく、娘を連れて街を出ていく。そして数年後、フェルミナは、父の願い通り、裕福で見栄えのいい医師と結婚する。結婚の知らせを聞いたフロレンティーノは意気消沈するもの、いつか自分に再びチャンスが来るまで何年でも彼女を待ち続けようと決意する。
 時は流れて51年9カ月と4日。ついにそのチャンスは訪れる。フェルミナの夫が死んだのだ。すでに有名会社の社長として地位も金も獲得したフロレンティーノは、葬儀に際して悲嘆に暮れるフェルミナに、自分の思いを告げに行く。

 という、男の長年にわたる一途な恋慕の情をつづった物語。その一途さは、まさしく純愛だが、まるでストーカーのごとく一途であるw。ただ、一途とはいえ、コロンビアという国柄のせいか、何度も女性の方からアタックを受ける。童貞を奪われてからは、フェルミナに遭えない寂しさを紛らわすため、自ら数多くの女性と一夜を過ごすようになる。しかも、一夜を共にした女性の数を、その女性の印象とともに日記に記載していたのだ(その数なんと600人以上)。女性の特徴を日記にしたためるなんて、まるでジェームズ三木であるw。気色悪いが、一夜であってもそれだけ相手の女性に対して真剣なのだ。愛に純粋で、かつ愛をまっすぐ語ることのできる男はいつの世もモテるんだと思う。

 ただ、正直言って、当作品の最初から半ばまで、特に、郵便局員時代の若い青年の頃のストーリー展開が軽薄でつまらなかった。あまりに単調で、しかも、若きフロレンティーノやフェルミナらの演技の稚拙さ、ワザトラシサに不快感さえ覚えた。でも、青年役が「ノーカントリー」のハビエル・バルデムになってから徐々に面白くなっていった。ハビエル・バルデムはあまりいい男ではないが、今回は「ノーカントリー」の狂人の演技とは違って温かみのある老人役、なかなか自然で味わい深い演技をする。ストーリー展開も結末に近づくほどユーモラスで、観ていて楽しかった。フェルミナ役の女性の演技の稚拙さは相変わらずだったが、それでも最後のシーンは感動的だった。終わりよければすべて良し。
 ただ、ガルシア・マルケスの小説の方がずっと素晴らしいに違いない。