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 週末、写真家の森山大道の個展を観に行ってきた。6月29日まで東京都写真美術館恵比寿ガーデンプレイス内)でやっている。

 彼の写真を知ったのは大学卒業後の12〜13年前。写真家といえば地元の英雄、土門拳アラーキー程度しか知らない頃で、当時、職業カメラマンを志望していた友人が教えてくれた。彼は私と同い年で金がないにもかかわらず、当時80万円のハッセルブラドを持っていた。借金か貯金かは知らないが、とにかく彼の言葉は常に青臭かった。飲むたびに、篠山や加納を「守銭奴」と断じることで自分の存在位置を確かめ、「オレはいつか写真で目にモノみせてやる」と熱っぽく語る。そして、「世にいるカメラマンなんてねえ、大半が芸術性のかけらもねえ商業写真家ばかりだよ。基礎技術もなく光学の勉強もしてねえ。そもそも撮った写真の数すら少な過ぎるのに、撮った写真の失敗の言い訳しかしねえ。結局、信念や挑戦への気概がねえから努力が足りねえんだよ。ああ、木村伊兵衛土門拳みたいなやつがいなくなったね。唯一、森山大道だけが救いだ」と管を巻く。

 そこから森山大道を知ったわけだが、おかげで興味を抱いて写真も観た。そこには「アレ、ブレ、ボケ」の特徴を発揮する写真家と書いてあった。つまり、粗くて、ピントが確定してなくて、ぼんやりしているという意味だが、その通り彼の写真のアレやブレ、ボケといった特徴は、素人のオレにも分かりやすい長所。なんとなく他の写真家にない芸術性、高尚さまで感じさせた。その後、オレはヒロミックス蜷川実花ホンマタカシなど時代の寵児的なカメラマンに惹かれることもあったが、何か物足りなかった。そうね、彼らの写真はキレイだけど、どれも「弱い」んだ。訴えてくる力がないんだ。撮ってる写真家の人生観が見えてこないんだよ。やっぱり、あの友人、今は結婚して犬を飼っている友人だけど、彼が昔言った通りだろうか。森山大道のようなフレームからほとばしる個性を感じない。写真を撮りたいんだという情念に似た力強さがない。どうも経済性を最優先しているがゆえの生命力のなさが先に出て、撮り続ければ必ず直面するであろう「写真とは何か」的な根源的な悩みに向かい合ってない、ひ弱さを感じるんだ。

 でも、森山大道は違う。彼は悩み抜いた末に、その正しさはどうあれ、「写真とは、光と時間の化石である」と、少なくとも自分なりの答えを出している。その答えは至言と思うけどね。

 とはいえ、森山大道は1938年生まれ、すでに70歳である。十分に老いてるし、写真家としての眼力も衰えてるに違いない。でも、今回の写真展を観る限り、それは杞憂だ。まだ彼は健在だ。死ぬ前に観にいくべきだ。