社会科学「まぐれ−なぜ投資家は運を実力と勘違いするのか」  (2008.4.29読了)

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのかまぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
(2008/02/01)
ナシーム・ニコラス・タレブ

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評価★★★★★

 アメリカでヘッジファンドを運営する確率論の大学教授が書いた、投資における「運」や「まぐれ」の要素を論じたエッセイ。内容は濃密で、先端経済学から数学、脳機能学、哲学まで発展している。
  
 「いかに世で有能とされる投資家や経営者、お金持ちがその成功の背後にある、まぐれや運の要素を過小評価し、自信満々に自分の知性を信じてるか」。舌鋒鋭い罵倒で本書はスタートする。  
 人生も経済も、偶然に左右される。無能なトレーダーしかいない投資家集団でも、その一部は勝ち続ける。「20年間株式市場は常に上昇している」といっても、明日下がれば何の意味もない。中央銀行FRB)が金利を下げても、複雑な経済が良くなるとは限らない。ビル・ゲイツの成功は、創業初期のまぐれが雌雄を決したに過ぎない。

 経済界の大物を「機を見るに敏」などとうそぶくマスコミも片棒かついでいる。ニュースの中で傾聴すべきは、干草の山に針一本程度しかなく、残りはノイズに過ぎないのに、みんな難しい顔をして新聞を読んでいる。新しい技術や発明はそのほぼすべてが忘れ去られる失敗作にもかかわらず、世の人々は新技術をありがたがる。本当は新しい何かを見過す機会費用など取るに足らないのだ。しかも、人は過去や歴史からけっして自分に都合のいいこと以外は学ばない。そういう脳しか持ってないのだ。
 
 我々の脳は、「75%無脂肪ハンバーガー」と「25%有脂肪ハンバーガー」を同じものだとは思わない。「ミカンよりリンゴが好きで、ナシよりミカンが好きだけど、リンゴよりナシが好き」だったりするw。あるいは、常に合理的な行動で名高い有能な人がカジノに出入りし、タバコを吸う。有名な化学者が「ビタミンCは体にいい」と毎日ビタミンCを過剰に取り続ける。ガン患者のうちほんの一握りの人はまったく分からない理由で奇跡的に回復するが、その人はどこかの自然水を飲まずとも勝手に治るのに、自然水がバカ売れする。

 じゃあ、なぜ人々は、運やまぐれを実力や必然と勘違いするのか。
 一つには、出来事にはいつも偏りがあること。たとえば、サイコロを6回振ると1〜6の目がすべて1回ずつ出るわけではない。2の目が4回出ることもある。瓶に入ったケチャップは、底を叩くと徐々に出てくるんじゃなくて、突然ドバっと出るw。本の売れ方もあるところに達すると爆発的に伸びる(ティッピングポイントの法則)。ガン多発地帯も長寿地域も、サンプルの取り方や取った年度によっていつも偏りが生じる(パレートの法則)。単なる偶然なのに、何か必然なものが働いていると勘違いしやすくなる。

 それより問題は、我々の脳が、事象が非線形的に発生することや、確率論が何たるかを理解しえないことらしい。我々の脳は、アフリカの草原で人類学的に枝分かれした13万年前以来、遺伝子的には何も変わっていないのだ。

 どうやら、脳は中枢処理システムを持って物事すべてトップダウン的に処理するのではなく、十徳ナイフのように、各問題に合わせ複数の独立した処理系統で処理しているようだ。だから天才と言われる数学者も、自分の専門外の問題に出会うと、同じ脳の違う部分を使うからバカな間違いをする。大別すると処理系統には少なくとも2つあり、その一つは数学者が数学の問題を解く時のように合理的に処理しているけど、もう一方では、物事を常に単純化した上で情緒的に(ヒューリスティック=経験則といわれるもので)処理している。しかも、処理の際には直前に見聞きした情報に大きく影響(アンカリング)されてしまう。かといって、脳から情緒をつかさどる部分を切除したら理想的な生物になるわけではない。情緒がなくなると何も決定できなくなる。悩んで朝ベッドから起き上がれない。情緒は意思決定の近道なのだ。

 最後に、これまで人類が取ってきた、アリストテレス以降の思考体系・論理体系にも問題があるようだ。すべての論理的枠組みから不確実性や確率論を排除してきた。たとえば最近までの経済学では、人々は常に合理的に行動するとしており、その時点で実証科学ではない。ダーウィンの進化論も同じで、彼の登場以降、我々は、植物も動物も、世代が進めばひたすら完璧な個体を目指すと信じている。本当は、世代が進んでも(短期的には)より下等な生体になるというネガティブ変異もありうる。稀な変異は、連続性がなく、ジャンプする(だから中途半端に首が長いキリンが見つかってないのかもw)。

 もちろん、本書だって正しいとは限らない。何せ、著者が私淑する哲学者、カール・ポパーが言う。「理論には2通りしかない。検証されて間違っていることが証明された理論か、まだ反証されていないため間違っているかは分からないが、間違っていることが証明される可能性のある理論のどちらかだ」。