エッセイ「国のない男」 カート・ヴォガネット (2008.2.5)

国のない男国のない男
(2007/07/25)
カート・ヴォネガット

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評価★★★

 「あれって何が楽しいんですか? フェラチオとゴルフ」

 こんな素敵なw文章を書く小説家にもかかわらず、私はこれまで著者のことがあまり好きではなかった。正直言うと、私は『タイタンの妖女』のほかは一部のエッセイぐらいしか読んだことがない。でも、そのいずれも相性が悪いというか、あまり面白いとは思わなかった。だから、本書も始め読む気にならなかった。なんとなく手に取っただけなんだ。
 
 案の定、性に合わない。彼の得意とされる強烈なアイロニーは、私にしてみれば口の悪い老人の繰り言にしか思えず、懲り固まったイデオロギーに囚われて抜け出せないように感じられ、不快ささえ覚えていた。「平和主義者なのはいいんだけど、それに盲目的なゆえ頑迷さを拭えない。ありきたりな批判ばかりで、中庸の徳を知らない空想家じゃないか」ってね、失礼w。
 
 でも、本書を読み進めて3分の2ほど終わった頃だろうか。急に私が間違いだったことに気づいた。彼はそんな、世に数あまたいる、世間知らずの理想主義者ではなかったんだ。だって、モダニズムを批判し、宗教(ってかキリスト教)を批判し、そして更には、モダニズムや宗教、そして争いごとを作り出した人間をも批判し、最後には、人間という存在に対して、深い絶望を感じているんだもの。人間なんてそのほとんどが矛盾と欺瞞だらけの中に安住し、しかもそれに気づかず、あるいは都合のいいように解釈し、自分だけが他人とは違って特殊だと思い込んで偉そうに生きている。そう、それが人間の特性なんだと分かって絶望している。彼の気持ちを汲み取れば、そんな感じだろうか。そうであれば、ワタクシ、共感します。それは晩年の作家の行き方として見ても、人間(の愛)に媚びてなくて格好いいと思う。だから最後の方には、ヴォネガットという老人にいとおしさまで感じたw。
 
 すみません、本一冊程度読んだだけで理解した気になっていたのは、偉大な作家に失礼というか傲慢であったと反省します。やはり、先入観は人をして周りを見えなくさせる。いや、先入観を持たずとも、人間は始めから自分が見たいものだけしか見ていない。カエサルが言うように「人間は誰でも現実のすべてが見えるわけではない。見たいと欲する現実のみが見えるだけ」なんだね。 

 彼は、村上春樹池澤夏樹ら多くの日本人小説家に影響を与えたとされる、米国人SF小説家。本書は彼の最新作。といっても、昨年4月に84歳で亡くなっているので、本書は遺作となっている。