エッセイ「生物と無生物のあいだ」 福岡伸一  (2007.12.8)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
(2007/05/18)
福岡 伸一

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評価★★★

 分子生物学において最前線で研究を続ける福岡伸一青山大学教授の書いた本。3年前に「もう牛を食べて安全か」という本を著し、狂牛病はまだそのほとんどが解明されていないから、まだ食べるべきでないと訴えた人でもある。

 読後感から言えば、途中難解な部分もあるけど、総じてとっても面白い。話題も豊富でグイグイ惹きこまれる。例えば冒頭、貧しい出自をハネ返し名を遂げた英雄、野口英世について、欧米の評価はなんと、「結婚詐欺まがいの行為を繰り返した、ヘビードリンカーのプレイボーイ」なのだw。彼が発表した数多くの研究成果の殆どが間違いであることが後に判明したからだが、千円札の英雄が、単にヘビードリンカーのプレイボーイとは驚いた。
 ただし、「生物と無生物のあいだ」というタイトルが醸し出す壮大さや哲学的な響きに反し、生命科学の神秘さや深遠さを(おそらく著者の思いほどには)感じることができなかった。単に、生物と無生物を分ける境目は何か、生物の学術的な定義は何だろうかについて、生物学界の研究を基に論じてみた本、という感じに近いだろうか。

 20世紀科学の定義では「生物とは自己複製を行うシステム」。しかし、その定義はもはや古いことを、分子生物学の研究成果、発展を踏まえて説明していく。そして著者は、自分なりの定義を導き出していくのだが、その定義に至る前に、学界史上の重要人物として、シュレーディンガーとシェーンハイマーの二人を紹介している。
 
 シュレーディンガーは、「シュレーディンガーの猫」で名高い量子物理学者。彼は量子論の研究の傍ら、原子がなぜあんなに小さいのか、原子の大きさと比較して我々の身体はなぜこんなに大きいのか、を生物学界に提起した。なるほど、原子の大きさに比べて確かに体はとってもデカい。彼が導き出した結論は、原子レベルでは様々な動的変化が起こりうるが、原子が沢山あって体が大きければ(希釈されて)落ち着きを保てる、つまり、秩序を維持できる。秩序を維持することが生命の特質だとした。

 シェーンハイマーは、シュレーディンガーと同時代に活躍した分子生物学者だが、彼は実験によって、身体の内部がその分子レベルではどれもみな高速で置き換わっていることを明らかにした。もはや体が成長しない大人でも、中身がどんどん入れ代わっているのに見かけは平静を装っている。つまり、生命とは代謝の持続的変化で、その変化こそ真の姿であると導きだした。

 現代になって分かったことだが、発生時に形成されると一生の間、わずかな例外を除き、分裂も増殖もしないという脳細胞でも、DNAの原子レベルでは、常に分解や修復がなされているという。結局、生命は、その体全体の秩序(平衡)を守るために、絶え間なく動かされ、壊され続けなければならない。そこで著者は、生命の新しい定義を見出すんだ。「生命は動的平衡にある流れである」と。

 うーむ、その定義、字面はカッコいいが、分かりづらい。一般に普及するほどの明瞭さがない。そう考えると、そもそも著者の文章、少々装飾的過ぎる。もしかしたら彼、かなり文学好きで、「動的平衡」という美しい響きの言葉を発見したことに喜び、自己陶酔のあまり、思わず衝動的に本書をしたためたのではなかろうかw。なんちゃって。いえいえ、面白い本ですよ。