映画「プルートで朝食を」  (2006.7.21)

プルートで朝食をプルートで朝食を
(2006/12/22)
ニール・ジョーダンリーアム・ニーソン

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評価★★★★

 監督は「クライングゲーム」のニール・ジョーダン。主演は「28日後」のキリアン・マーフィー。

 度重なるアイルランド独立軍(IRA)の爆破テロが僅かに記憶に残る1970年代。アイルランドカトリック教会の門扉の前に捨てられ、孤児として育ったパトリック(自称・聖キトゥン)。幼少の頃より女装に興味を持ち、思春期を過ぎた頃には立派なオカマになっていた。思う通り自由に生きていたが、一つだけ心残りがあった。それは、自分を捨てた母に再会すること。そんな中、爆破テロによる友人の死や他人から教わった言葉を切っ掛けに、自分を捨てた母を捜す旅に出る決意をする。アイルランドを離れ、ロンドンへ。まるで「母を訪ねて三千里」のマルコ(これまた聖人だなも)だ。
 
 ただ、そこはオカマの物語。簡単にはいかない。途中、何度も恋をして、何度も裏切られる。アイルランドのドサ回りバンドのヴォーカルに惚れるも、彼はIRAの実用部隊の一人で、キトゥンを作戦にうまく利用していたり、ロンドンで出会った奇術師は、奇術のパートナーとしてお金儲けに利用する。いつもキトゥンは「惚れた弱み」に付け入られてしまう。しかし、そこはオカマの物語。哀しみを吹き飛ばし、次の愛を探し出すパワーがある。そう、キトゥンはひたすら健気なのだ。決して、裏切られたと感じない。そのせいか、世知辛さも世の中の膿も、キトゥンの体には決して溜まっていかない。過去を振り返り、今を鑑みて沈み込むこともない。そこは普通のオカマの物語とは違うかも。いつもうまくいかないのに、微笑ましくて、観ているこっちが常に癒されてしまう。

 最後は、探し求めた母に出会うことができたけど、自分が息子だとは言えなかった。それでも出会えただけで満足だ。そして、物語の途中で実父だ白状した神父さんと、小さい頃からの女友達の住むアイルランドに帰っていく。エンドロールが流れる頃には、悲しさや切なさを超えた楽しさに、うれし涙が出そうになりました。